走れ!ケー100主題歌・にしきのあきら「ピポピポ旅行」カラオケ配信・映像が割と合ってる


まきのりゆき版レコードと模型、2013年12月のケー100 40周年パーティーの参加記念品として頂いたピンズ。

1973〜74年放送「走れ!ケー100」主題歌、にしきのあきら「ピポピポ旅行」。
何度かCD収録はされているものの、不思議とカラオケ配信はされていませんでした。


そこで、松本健さんに作って頂いたカラオケ音源がこちら。
メロディーなし版
2013年12月にアップしたケー100東京編ロケ地探訪動画の中で使用し、2014年6月に単独でアップしました。

早速これを使って演奏動画を公開する方も現れました。鼻笛って知らなかったですが、かなり正確です。
NHK・日本鼻笛協会 - 日本鼻笛協会 世田谷友の会←この会の方。


DAMのリクエスト投票にエントリーされていて、せっせと毎日投票していました。2014年4月1日に投票制が廃止となり、どうなるかと思っていましたが、8月5日に配信開始されました!


遅まきながら、最近歌いました。


始まったら、まさかのC62 3(1995年運行終了)で意表を突かれる!
割と空気を読んで映像が選ばれています。本編映像を使ってくれるのが一番良いんですけどね。

後期OPのD51の貨物列車とケー100が一緒に走るカットを思い出します。

「軽100」・・・CDの歌詞カードでも何故かこう表記されています。元をたどれば、ケー100の元ネタのケ100形の「ケ」は軽便鉄道のケではあるけど・・・。


にしきのあきらのCDで何も知らずにこの歌を聞いた人は、どういう感想を持つのでしょうか。まず道路を走り日本中を旅する蒸気機関車の番組のテーマ曲だとは思わないでしょうw 軽自動車か何かかと思うかな。


挿入歌「いいじゃないか」もカラオケに入れて欲しいんですが、その前にCD化されないとなあ。かまやつひろしバージョンが収録されたCD「釜田質店」は廃盤になっています。

道は逃げたりしないよ のんびり慌てず行こうよ
という歌詞なのにケー100が高速道路を走る!?www


最後は夕方。実際のオープニングの映像を意識しているのでしょうか。


ワイルド7のOP(♪お前がやれぬ事ならば〜)のカラオケ映像では、OP映像を意識したとしか思えない、数人がバイクで疾走する映像が使われていたりします。

カラオケで歌った様子を11月10日にアップしている方がいました。

楽器を使った唯一のカヴァー動画。のんびりした雰囲気が良く出てます。
初音ミク

最初の写真で写っているナンバープレート形のピンズと、ロケ当時の写真のポストカードセットが冬コミ12月28日(日)西地区“ら”19a サークル名「発車オーライ!走れ!ケー100」で頒布予定だそうです。


『走れ!ケー100』応援サイト・発車オーライ・走れケー100
【※1月12日追記:サイト上で通販しています。】


【スクープ】長柄運河の水が流れてる画像がドラマから | 梅田の北っかわ!(うめきた) - Part 5261
↑大阪編ロケ地探訪の記事に11月6日、こんな反応がありました。この地域は古い写真すらも中々見つからなそうですね。


過去記事
伝説のドラマ「走れ!ケー100」道路を走る蒸気機関車で日本縦断! - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(1)門司港駅・関門トンネル・旧門築大久保駅 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(2)大阪(前編)御堂筋・中之島公園・(株)オーヨド - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(3)大阪(後編)大淀・中津 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(4)山形〜羽黒山(出羽三山神社)・鶴岡銀座商店街〜 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(5)向ヶ丘遊園・東京都多摩市桜ヶ丘・狛江市 - きーぼー堂
走れ!ケー100・40周年記念パーティー参加レポート - きーぼー堂
走れ!ケー100と大江戸捜査網のBGMの関係 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(6)港区麻布台・新宿駅西口 - きーぼー堂

走れ!ケー100ロケ地探訪(6)港区麻布台・新宿駅西口

走れ!ケー100ロケ地探訪(5)向ヶ丘遊園・東京都多摩市桜ヶ丘・狛江市からの続きです。東京編ロケ地紹介はひとまずこれで終わり。


東京編後編、第17話「危機いっぱつ!屋上の対決―東京の巻―」(脚本:田口耕三、監督:青野暉、1973年8月3日放送)は東京編の後編。ここまでで最も盛り上がる話でロケ地も盛りだくさん。


国会議事堂前、皇居前、甲州街道、京王プラザホテルなど西新宿の高層ビルの前(特捜最前線初代OPと全く同じ構図)、晴海埠頭などをケー100が走ります。ラストシーンに上野公園の西郷隆盛像を持ってくるとは上手い!




東京タワー。右は麻布台ビルで、1964年からアール・エフ・ラジオ日本(旧・ラジオ関東)が入居しているそうです。


カメラが下がるとケー100が走って来るのが見えます。
走ってケー100を見に来る男の子が右に映っていて微笑ましいです。3人ともカメラを気にしているようで、1人は陰に隠れて殆ど見えません。建物は建て替えられているのに、同じ場所に同じような階段があるのには驚きました。


倉田の車に追い付かれて慌てて加速。ここを右折します。



機動隊の車両の横を通り抜けて行くケー100。DVDのオーディオコメンタリーで青野監督は「あれは頼んだわけじゃ無くて居たんですよ」とw


左の塀はソビエト(現・ロシア)大使館です。写真でも奥に警備している警官が見えます。車のドアの開き具合という地味な変化を発見。



倉田は警察車両を見てビビり、運転している手下に「もちろんバックバック!」と指示。また坂に戻って行きます。先ほどの麻布台ビル北館が左に見えます。




前方からまた倉田の車が!咄嗟に右折して階段へ。



豪快に階段を下るケー100。バンパーがガンガンぶつかってるけど大丈夫!?


雁木坂(がんぎざか)です。「港区 階段」で検索して見つけました。
23区階段



これは「平成十六年九月」と書かれていますが、これと同じような杭が映っているのがコマ送りすると確認出来ます。何代か前の物でしょう。

雁木坂を上から。



雁木坂を下りたケー100はそのまま桜田通り方面へ。右のビルが同じです。


新宿駅南口と西口の連絡通路の西口側に現われたケー100。左側が小田急百貨店、右側が京王百貨店です。
人がいる櫓(?)は何なんでしょうか?そこから撮られた映像が使われているわけでも無いし。
:
倉田の車も下って来ます。当時は普通に車も通行出来たんでしょうか?


この後、小田急百貨店の店内をケー100が走り回るという衝撃の展開に!*1オーディオコメンタリーの青野監督の話によると、ケー100の煙に火災報知機が反応してしまうので煙を薄めにしたそうです。


帰りは大勢の見物人を尻目にまたケー100が坂を上がって行きますw

1984年に「モザイク通り」となり、勾配が緩く、道幅が狭くなって当時の面影は殆どありません。名前の由来は当初モザイク模様のタイルが敷かれていたから。


新宿 西口 モザイク通り(今・昔) : 東京雑写
↑昔の写真があります。70年代初め?

第18話「20億円の夢!シンデレラ騒動」10 : 黒鳥学園反省房〜「セーラー服反逆同盟」のロケ地〜
セーラー服反逆同盟 第18話(1987年)でのモザイク通り。巨獣特捜ジャスピオン第5話(1985年)冒頭でも登場するようです。




倉田が出て来た出入口の上、よ〜く見ると「小田急線のりば」と書いてあるんですよ。この後カメラが右へ動き現・モザイク通りが映ります。


向ヶ丘遊園小田急百貨店、そして静岡編の小田急花鳥山脈と、小田急系の施設でのロケは三度もありますね。

[:W520]
(クリックすると拡大します)
サンテレビ名作シリーズ14 走れ!ケー100日本1周冒険旅行」より。東京タワー、国会議事堂、皇居(二重橋は出ないけど)、モノレール(小田急向ヶ丘遊園モノレール)は実際に登場しています。



http://www.youtube.com/watch?v=16IUlRnq3ec
ケー100の曲に乗せて、動画でロケ地を紹介してみました。


●オマケ
記事を書いてる途中で思い出したぐらいなので、アングルを合わせた写真がありません。

1974年の小田急百貨店藤岡弘主演「白い牙」第16話「虚栄の女」より。

現在の小田急百貨店。ちなみに白い牙 第18話「事件屋仕掛人」ではケー100のペテン師・石橋正彦役の杜澤たいぶんさんがゲスト出演しています。



映画「ザ・ガードマン 東京用心棒」(1965年公開、VHSのみ発売)より、新宿駅西口での狙撃場面。映っているのは当時の小田急百貨店、現在のハルクです。当時は現在の小田急百貨店の建物はまだ建っていません。

2007年8月18日にコミケに向かう途中に撮影。外装は変わっていますが、同じ建物です。

犯人が居たのは「SUNTORY WHISKY」の看板があるビルの屋上。「ザ・ガードマン」のスポンサーがサントリーだったからですね。このビルは新宿駅西口では無い気がします。


走れ!ケー100(1973〜)|昔のドラマのロケ地を探そう!
↑港区麻布台のロケ地はこちらを参考にさせて頂きました。


第16話「サン、ニイ、イチ、大階段を登れ! −東京の巻−」ストーリー
第17話「危機いっぱつ!屋上の対決 −東京の巻−」 ストーリー
(『走れ!ケー100』応援サイト・発車オーライ・走れケー100)



過去記事
伝説のドラマ「走れ!ケー100」道路を走る蒸気機関車で日本縦断! - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(1)門司港駅・関門トンネル・旧門築大久保駅 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(2)大阪(前編)御堂筋・中之島公園・(株)オーヨド - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(3)大阪(後編)大淀・中津 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(4)山形〜羽黒山(出羽三山神社)・鶴岡銀座商店街〜 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(5)向ヶ丘遊園・東京都多摩市桜ヶ丘・狛江市 - きーぼー堂
走れ!ケー100・40周年記念パーティー参加レポート - きーぼー堂
走れ!ケー100と大江戸捜査網のBGMの関係 - きーぼー堂


*1:「メトロ食堂街」の文字が読めるので、本当に小田急百貨店で撮られていると分かります。

走れ!ケー100ロケ地探訪(5)向ヶ丘遊園・東京都多摩市桜ヶ丘・狛江市


走れ!ケー100初の前後編、東京を舞台にした
第16話「サン、ニイ、イチ大階段を登れ」
第17話「危機いっぱつ!屋上の対決」
(脚本:田口耕三、監督:青野暉、1973年7月27日・8月3日放送)
のロケ地探訪です。ケー100 40週年パーティーのために上京したついでに行って来ました。


記録写真集によると、東京編のロケは1973年6月13日〜21日に行われています。ちなみに後編のタイトルバックの商店街のカットは一見前編の流用のような雰囲気ですが、後編で初めて使われたカットです。


この記事の向ヶ丘遊園と桜ヶ丘は2013年11月30日(土)、狛江は12月1日(日)撮影です。

http://www.youtube.com/watch?v=16IUlRnq3ec


大阪編に次ぎ、2本目のロケ地探訪映像を制作しました!この記事を読んでから見た方が良く分かると思います。BGMのMIDIは松本健さんが作ってくれました。聞き取りづらい音源でもそっくりに再現出来ていて感動です。感謝!




東京都多摩市桜ヶ丘4丁目の「八百利」。桜ヶ丘四丁目バス停の目の前です。「新鮮な野菜と果物」というキャッチフレーズは40年前と変わらず。


男の子が「紋太さーん!」と叫んで現れます。
「うちの果物だけど、差し入れだよ。それからおばあちゃんから、お守り。今朝の新聞に出ていたんで、今か今かと待っていたんだ。」


こちらはドラマ「おくさまは18歳」(1970年)で頻繁に登場する事で有名だそうです。ケー100で桜ヶ丘を使ったのは青野監督が「おくさまは18歳」の監督もしていたからだろう、とシー9156さんは推測。
http://homepage2.nifty.com/kihachiro/drama/okusamaha18sai/oku18_roke/oku18_10yaoya.htm



店内には、何と今日(2013年11月30日)限りで閉店という貼り紙が!!
1967年(昭和42年)の開店から46年、偶然最後の日に立ち会えました。



掲載許可を得て、お店の方の写真を撮らせてもらいました。
ケー100のDVDセットを見せて尋ねた所、「おくさまは18歳」のファンなら来るけど、ケー100も大野さんも知らないという事でした。

これはあなたですか?と聞いておけば良かったなあ。


読み方は「やおとし」では無く「やおり」

今日で閉店なので、棚はガランとしていました。来る日が悪かったね、と言われましたが、そんな事はありませんよ。あと一日遅く来ていたら後の祭りでしたから。



隣の肉屋さん「鈴政」もコマ送りすると店名が読めます。




去って行くケー100。
この時は知らなかったんですが、このロータリーは「おくさまは18歳」の他に映画「耳をすませば」でも登場していました。
耳をすませば舞台探訪4 【ロータリー・団地編】 | ひきこもりかけぶろぐ



引きで。



この「ノア」という洋菓子屋さんが自家製「耳をすませばロータリークッキー」を売っているそうです。もしかしたら写っているのもファンかも。




紋太さんは倉田(なべおさみ)に騙されて契約書を書かされ、ケー100を使ってショーをする事になってしまいます。嫌々ながら商店街をチンドン屋のごとく走って宣伝。大勢の子供がぞろぞろついてきます。


東京都狛江市中和泉の商店街「狛江ショッピングセンター」。
後方の建物がそのまま!現在は「デイサービスセンター なごやか狛江」です。


右後方には柳久保稲荷神社という、とても小さな神社があります。
杜を訪ねて 柳久保稲荷神社(狛江市中和泉)




横切るケー100を見つけた節子さんの視点。

奥に見えるのは慈恵医大第三病院でした。


一瞬見える「ナカモト」の文字。この文具屋さんは建物は建て替えられていますが、現在も同じ場所で営業中です。訪れた時は閉まっていました。
その文具屋さんの前の公衆電話で節子さんが出版社に電話していました。


実際の位置関係だと、節子さんは電話中に一度目の前をケー100が通過したのに見逃してしまっている事になりますw


魔弾戦記リュウケンドー第32話(2006年)で狛江ショッピングセンターがロケ地になっているようです。
http://yaplog.jp/akebono-cho/archive/9



倉田によって、ケー100は向ヶ丘遊園(2002年閉園)の「花の大階段」を登らされる事になってしまいます。

ケー100が大階段を登る姿は危なっかしく、後ろへ滑ってしまう場面では何度見てもハラハラしてしまいます。この辺りは中々の名場面です。


向ヶ丘遊園があるのは神奈川県川崎市多摩区。「東京の巻」ですが、実はここだけ神奈川県です。よみうりランドなら小学校の遠足で行ったんですけど、向ヶ丘遊園は無縁でした。ちなみに僕は幼稚園に入る前まで川崎市高津区南武線久地駅付近に住んでいました。



閉園前の花の大階段。宇宙刑事ギャバン よろしく勇気!より。多くの作品のロケ地になっているそうですが、僕はあまり知りません。


仮面ライダーロケ地大画報: 向ヶ丘遊園 第4話「人喰いサラセニアン」
華との邂逅 桜田淳子さんと向ヶ丘遊園の関係
植木等「日本一のほら吹き男」(1964年)と桜田淳子「天使の初恋」(1973年)PV

http://nhh.mo-blog.jp/ttt/2013/11/post_db1a.html
プロレスの星アステカイザー第16話

向ヶ丘遊園メモリアル 花の大階段



現在は何故か茶色に塗られていて、「花の」なんて雰囲気じゃありません。でも見られて良かったです。
向ヶ丘遊園の一部は「生田緑地ばら苑」として年二回公開されていますが、ここには立ち入る事が出来ません。



少し前まで、大階段はとっくに取り壊されたと思っていました。隣の藤子・F・不二雄ミュージアムからこの角度で見る事が出来ます。



心配してケー100を追いかけて行く隆くん。僕も登ってみたい。
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40周年パーティーで展示されていたメイキング写真。劇中でもモノレールが走っているのが映っていますが、その軌道が見えます。現在は痕跡は全然残っていません。



この直後、音楽にピッタリのタイミングで運転台の赤い筒(発煙筒?)がポロッと落ちます。



大階段の前のフェンスにこんな看板が。2014年10月から工事開始のようです。




ここからは第17話です。向ヶ丘遊園から逃げてきたケー100が登る坂。マンホールも電柱も同じ位置ですね。登りきると、先ほどの八百利から割と近い場所に着きます。


ケー100は無理がたたって、熱を出して止まってしまいました。


獣医に診察してもらって、出発するケー100。「犬猫病院 鈴木獣医」の看板が出ています。


何と劇中のように獣医では無いものの、実際に医院でした。良くこんな都合の良いロケ地が見つかったもんだ、と思います。ケー100が休んだ空き地は現在家が建っていて、劇中で見えている家はその一軒向こうです。


2010年3月撮影のGoogleストリートビューでは右の壁に医院の看板が出ていたんですが、現在はNPO法人の看板が出ているだけです。
医師会のサイトでは「休診中」とあります。こちらの先生は70歳代以上のはずで、ご高齢のためでしょうか。


八百利で買ったいちご。バナナは無かったです。

バス停にあった地図。

小田急向ヶ丘遊園駅には昭和2年の開業当時以来の木造駅舎が残っていました。電車の接近メロディは「ドラえもんのうた」と「はじめてのチュウ」。


桜ヶ丘のロケ地に関してはシー9156さんのmixi日記を参考にさせて頂きました。


↓次回は港区麻布台のロシア大使館周辺と新宿駅西口のロケ地を紹介します。
走れ!ケー100ロケ地探訪(6)港区麻布台・新宿駅西口 - きーぼー堂


第16話「サン、ニイ、イチ、大階段を登れ! −東京の巻−」ストーリー
第17話「危機いっぱつ!屋上の対決 −東京の巻−」 ストーリー


初音ミクでピポピポ旅行をカヴァーしてる方もいます。



伝説のドラマ「走れ!ケー100」道路を走る蒸気機関車で日本縦断! - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(1)門司港駅・関門トンネル・旧門築大久保駅 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(2)大阪(前編)御堂筋・中之島公園・(株)オーヨド - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(3)大阪(後編)大淀・中津 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(4)山形〜羽黒山(出羽三山神社)・鶴岡銀座商店街〜 - きーぼー堂
走れ!ケー100・40周年記念パーティー参加レポート - きーぼー堂
走れ!ケー100と大江戸捜査網のBGMの関係 - きーぼー堂


『走れ!ケー100』応援サイト・発車オーライ・走れケー100トップ

走れ!ケー100・40周年記念パーティー参加レポート

12月1日、東京・銀座スターホールで開催された「走れ!ケー100」40周年パーティーに参加しました。『走れ!ケー100』応援サイト・発車オーライ・走れケー100管理人の山田さんの主催です。


ケー100東京ロケ地巡りから直行。ケー100のオフ会は初参加で、20代は僕だけかと思ったら、何と10代の参加者が!お父さんの影響だそうで、親子共々での参加でした。

出席者はケー100関係者15名、ファン40名の55名(山田さん含む)だそうです。
会場の全体の様子が分かる写真は撮り忘れてしまいました。

梅津良典さん製作の6分の1サイズのケー100。本物そっくり!
製作されているとは知らなかったのでとても驚きました。


梅津さんは40年前に日本橋高島屋でのイベントで大野さんらケー100出演者と一緒に写真を撮った事があると明かして会場を湧かせていました。
その写真がこちら。
梅津良典氏提供・日本橋高島屋撮影会(発車オーライ!走れ!ケー100)

そしてその写真を持って40年ぶりに一緒に写真を撮っていましたね。



左から
・石橋正彦(ペテン師)役の杜澤たいぶんさん
  (ケー100当時は杜沢泰文名義)
・岡本節子役の大川栄子さん
(「キイハンター」谷口ユミ役など)
・伊賀山紋太役の大野しげひささん
・第45話天草編 ナオコ役の橋本美佳さん
 (「イナズマン」「事件記者チャボ!」などにもゲスト出演。現在は朗読公演などで活動中)
・ノブちゃん役の秋元京子さん


杜澤さんは「大野先輩」に会う機会がずっと無かったそうだから、4人が揃うのは1974年以来39年ぶりです。
石井トミコさんも来られたら良かったんですけどねえ。
大川栄子さんは偶然にも誕生日でした。


出演者・スタッフ・ファンのオフ会は以前に数回開催されていますが、大野さんはCM制作会社「グリーンプロモーション」社長として多忙で、今回が初出席なのでした。


企画の佐賀邦夫さん、青野暉監督。番組の正式なスタッフでは無いものの一貫してケー100の整備を担当し、今年40年ぶりに佐賀さんと再会した「靖さん」こと斉藤康信さんなど、40周年に相応しいそうそうたるメンバーが揃いました。


世田谷区代田の整備工場・池田自動車で撮られたケー100。小田急線から丸見えだったそうです。RailMagazine93年12月号より。


康さんは割と『「走れ!ケー100」の青春』で描かれているイメージの通りの方でした。1973年当時は24歳。ケー100のレール走行用車輪製作の際は、今のようにネットも無く調べられなかったので自分で池田自動車の前の小田急線の線路を測って1067mmと分かったそうですw
もし京王線(1372mm)とかだったら後が大変でしたね。


池田自動車での貴重なケー100のカラー写真はこちら。
ケー100 ダンボールで実物大を作ろう!



カレー屋さん手作りの実物大ナンバープレート(270×130mm)。佐賀さんが個人的に作成していた図面を元にしているそうです。


紋太さんの衣装を着ているのはカレー屋さんです。
最初はこの辺りに大野さん、大川さん、秋元さんがいらっしゃって、至近距離でお話を聞く事が出来ました。


大野さんが第1話で共演したハナ肇さんは演技についてとても厳しく、「大野ちょっと来い」という感じで呼び出され、隆くん(子役の長田伸二さん)に負けてどうするというような事まで言われたそうです。青野監督曰くハナ肇さんは「叱り魔」。

パンフの表紙は台本そっくりのデザインで、記念品としてケー100のナンバープレート型ピンズと、佐賀さんが74年当時の打ち上げ用に作ったはんこをアレンジしたシールも頂けました。

秋元さんと大川さんから、佐賀さん(右)と青野監督(左)に花束が贈られました。


会場では佐賀さんが保管していたケー100のオリジナルBGM(15分程度)が流れていました。打ち上げ会場で流すために編集されたオープンリールの6mmテープで、サントラが発売されていないため現在聞ける唯一の音源となっています。


第26話から使用された「ピポピポ旅行」のアレンジ版、最終話ラストで使用された「いいじゃないか」のインスト版が聞けたのは嬉しかったです。

レコード、ソノシート、ソフビフィギュアなど放映当時の超レアなケー100グッズ大集合!一つ一つが見づらいですが。

ケー100のハンカチが存在したらしいというのは知っていましたが、まさか現存していたとは。

この他、展示されていたソノシート付き絵本「サンテレビえほん35 冒険旅行 走れ!ケー100」と同じサン企画から「サンテレビ名作シリーズ14 走れ!ケー100日本1周冒険旅行」*1(SM-14 構成:佐藤哲信、絵:大川明)も発売されています。

実物のケー100と違い、フェンダーミラーが付いています。台本表紙のイラストと同様。


左上は現存する唯一のケー100の部品、正面のナンバープレートの下に付いていた煙室扉ハンドル。なぜ残っているのかというと、2号車が沖縄こどもの国に送り出されるより前に交換され、佐賀さんが保管していたそうです。
右下の黒い物は別府での1号車炎上の際に焼け残り、後日側溝から発見されたブレーキシュー部品。


ちなみにケー100は放映終了後に2号車が静岡県富士宮市朝霧高原グリーンパーク、3号車が沖縄こどもの国に譲渡されましたが、どちらも現存しません。
ケー100は今・・・
走れ!ケー100 各劇用車の比較


この部品の存在に気付かず見逃してしまった方もいました。僕が気付いたのは片付けが始まった時です。


シー9156さんが小学6年生の時に作ったというケー100飾り棚!ケー100だから大事に残しておいたそうです。

裏面に大野さんにサインをして頂いていました。


シー9156さんのブログで飾り棚と会場の様子の写真がアップされています。
ケー100の巻('74、'13) ( 女性 ) - KH1の最旧アイドル・パトロール(独りよがり歌謡エッセイ) - Yahoo!ブログ


「最終回にほえろ!PART3」掲載の青野監督インタビューを引用します。

放送が終わってから、ソビエト(現ロシア)との合作映画の話が持ち上がったんですよ。その時に、こちらからサンプルとしてさっきお話した京都編を持っていったんです。それを観せたら大変気に入ってもらえましてね。


あちら側のOKが出て、日本の映画会社を見つけようっていう話になったんですけど、結局どこもノッてくれる所がなくってね。流れちゃったんです。ケー100が北海道からシベリアに渡って、レニングラードに向かう……っていうようなけっこう壮大な構想を考えてたんですけどね。

ケー100が沖縄へ行かなかった場合のパラレルワールドという感じでしょうか。見てみたかったなあ。
青野監督に聞いてみた所、間宮海峡を通るルートで、実はケー100はレニングラードの工場で造られた機関車だった、という話にするつもりだったという事です。その手がありましたか!


脚本は作られておらず、企画書も残っていないそうです。

二次会で軽井沢グリーンランドさんが配ってくれた、「青野監督の夢 レニングラード到着!」と題した40周年記念イラストの絵ハガキ。宮殿広場ですね。
ちょうど青野監督とロシア編の話をしている時に渡されたので驚きましたw


大野しげひささんは山田さんによるインタビューの中で、監督にスケジュールは大丈夫か聞かれて、もし撮るならやらせて下さいよと答えたものの、待てど暮らせど話が来なかったと語っています。
大野しげひささんインタビュー 第2回 | Bendithmovies分室 - 楽天ブログ


青野監督は紋太さんがトンガに招聘されて交通大臣になるという話も考えていたそうです。

青野監督にして頂いたサイン。


ケー100が高知・桂浜に漂着、見つけた青年が運転してロサンゼルスに向かう内容のテレビでの続編の企画書(DVD後半分の解説書に掲載)には全く関与していないそうです。続編の登場人物「国木田みどり」と同名の女性が 『走れ! ケー100」の青春』に登場している事からして、佐賀さんが書いた企画書なんでしょう。


最後は大野さんの提案で出演者によるトークショーとなりました。大野さんはさすが元テレビ司会者という手際の良さで、スタッフも一人ずつ呼んで喋ってもらっていました。


出演者・スタッフが会場内に散り散りに居るため一部の方のお話しか聞けなかったので、とてもありがたかったです。

大野:撮影の時いつも正彦がいじめられたりするんだよね。子供たちに。それを慰めるのが大変でしたね(笑)
杜澤:いつも大野さんがかまってくれるの(笑)
大野:それは自分ではどう思ったの?

杜澤:憎まれているんだなっていうのはもう、ドラマで演じているだけなんですけども、蹴っ飛ばされたりつねられたりひじ鉄食らったり、多分大野さんも知らない所で、本当にここ(腕)に痕がつくぐらいつねるんですから。

聴衆:え〜〜〜(笑)

杜澤:それでね蹴っ飛ばされた後青あざがつくんだから!


大野:自分でアイディアを出して、監督こういう風に紋太さんをいじめたら良いんじゃないんですかってやってたじゃないの。あれはどうなんだよ(笑)だいぶアイディア出てたよね僕が見た所?

杜澤:いや〜〜それは無かったと思いますよ〜?
大野:あれ監督の指示?
杜澤:いやあの〜〜監督は何にも、仰いませんでした。
大野:じゃあお前じゃねえかよー(笑)
杜澤:えーだからそれはそうなんでしょうけど・・・(笑)
大野:今になってごまかさなくて良いよー!40年前の恨んでないから!


杜澤:監督は何にもああしろとかこうしろとか(仰らなくて)、逆に僕は言われないんで不安でしょうがなかったですね。何でも「良いのかなここまでやっちゃって?」って感じで、まずかったら監督が止めてくれるだろうと思いながらやってました。だから監督は何にも・・・(青野監督の方を見て)監督そうでしたよね?逆に不安になりながらやってました。

杜澤さん、苦労してたんだなあ・・・。確かにケー100をあんなにいじめる役では子供に恨まれるのも仕方無いかも知れません。


その一方で、ファンになってくれた女の子もいた事が「石橋正彦裏話」その4に書かれています。
http://k100.tobiiro.jp/taibun/urabanasi/uranabasi.htm

大川:私凄く印象に残ってるのは、杜澤さんがおっきなあめ玉を頬張って、「節子さんもどうぞ」って言うのよ。

※杜澤さんはさり気なく頬を膨らませてその場面を再現していましたw


そんな大きいの頬張れないって私が「フン」ってやったら「では僕が」って両方に頬張ってセリフを言って、「この人って、あたしを食う気だわ!」って感じで。

杜澤:「愛くるしい人!覚えておこう!」※劇中のセリフ
大川:愛くるしいって!(笑)それすごーく心に残ってますよねー。

第43話「奇跡が起こった! 平戸の巻」での杜澤さんの面白芝居!
いくら節子さんに冷たくされても全然食い下がらない正彦がおかしかったですね。
ここ、台本ではどうなっていたのか気になります。


最後の挨拶。

●秋元京子さん
今日は本当に大勢全国から集まって来て頂いてありがとうございます。本当に嬉しいです。また来年再来年も皆様が集まれるように・・・、山田さーん!ありがとー!またよろしくお願いしまーす。


●大川栄子さん
本当に40年って凄いんだなーと思って、山田さんから今日の日にちを伺った時に、「あ、あたしの誕生日だわ」と思って、今朝起きた時に、自分の誕生日っていうよりも前に「今日みんなと会えるんだなー!」って思ったんですね。で、その後に「あ、あたしは誕生日なんだ」って思って、あ、なんかご褒美が頂けたなーって何よりの誕生日プレゼントを頂けたなーと思って、本当に一つのドラマで40年経ってもこんなに熱い思いで、一つの所に集まる気持ちって本当に無いので、この機会このひと時を大切にしたいし、この機会を長い間一生懸命に作って下さった山田さんに感謝いたします。ありがとうございました。


●杜澤たいぶんさん
ケー100が40周年って、いや凄いですよね〜毎回機会があって時間が許す限り出席させて頂いていますけれども、皆さんのこのドラマに対する思いっていうのが、改めて分かりました。
僕あの本当に申し訳ないんですけど、ケー100の後半の本当に最後の方にちょこっと(しか)出てないのに、こういう席に来させて頂きまして本当にありがとうございます。皆さんもどうぞお元気で。

大野しげひささん
僕は本当にこの「走れ!ケー100」っていうのを何事も無く一年間過ごしたつもりだったんだけども、こうやって40年、皆さんから熱いエールに、思い焦がれてるっていう事に、何か自分の人生が、何だろう嫌な世の中の中でね、「あ、こんなに俺幸せなんだ」っていうね、一言で言うと皆さんから幸せ頂いたんでね、この幸せを、本当に世の中、これから僕どのくらいあるか分かりませんが、天国に行くまで、はみ出ないように、日本人の持ってる思いやりとかそういう礼節を、本当に大事に、皆さんの思いを決して踏みにじらない、ダメにしない、そういう己を貫きたいと、僕は改めて誓いました。


ですから皆さんも、是非僕を中心に、素晴らしい人生でありますように。ありがとうございました。


締めは父子揃っての「いいじゃないか」「ピポピポ旅行」弾き語りフルコーラスで、出席者も歌って大盛り上がりでした。


14時開始、予定の16時を越えてあっという間の2時間でした。
これほど番組のファンと出演者・スタッフが近い距離で話せるイベントは相当珍しいと思います。


それから青野監督らを交えつぼ八(これまた偶然にも創業40周年)銀座五丁目店での二次会へ。
ネット上では2004年から交流があった山田さんともじっくり話し合えました。康さんの指導によりケー100製作が実現するかも!?


ケー100出演者、スタッフ、ファンの方々、そして山田さん、ありがとうございました。またこういうイベントがあれば参加したいです。


ケー100を見たくても見られない方が多いのでDVDの再発売・再放送、そしてサントラ発売を関連会社の方、見ていたらお願いします。


DAMでは主題歌「ピポピポ旅行」のカラオケ配信曲リクエスト投票を受付中で、毎日投票が可能です。会員登録が必要。こちら


きーぼーのツイッターアカウント
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初めて見た銀座和光。新宿から夜行バスに乗って大阪に帰りました。

*1:裏表紙のタイトル表記は「冒険旅行 走れ!ケー100」

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走れ!ケー100第30話「それ行け登れ!二千段―山形の巻―」(1973年11月2日放送、脚本:高橋二三、監督:枝川弘)のロケ地探訪を2013年5月3日に行いました。山形県鶴岡市がロケ地で、今回訪れたのは鶴岡銀座商店街と羽黒山(はぐろさん)の出羽三山(さんざん)神社。湯野浜の方は行けませんでした。


鶴岡で宿泊したのは鶴岡駅の北東の快活CLUB 鶴岡店。まさか地元西宮で良く使うチェーン店があるとは。5月とは思えない寒さでした。



鶴岡駅からバスで羽黒山へ。
鶴岡駅出羽三山神社→鶴岡銀座商店街の順で巡りました。

バスに約40分揺られます。



三吉爺さん(中村是好)による裸足参りの説明の途中でチラッと映る羽黒山大鳥居。庄内交通「大鳥居」バス停近く。ここで降りたら次のバスを1時間も待たなきゃいけないので車内から撮影。


鶴岡駅から出ていた庄内交通湯野浜線(1975年3月限りで廃止)の終点、湯野浜温泉駅。当時の駅前の様子が良く分かります。このように電車もチラリと映っています。今回は訪れる時間がありませんでした。


湯野浜温泉駅の跡地には湯野浜振興センター「コスパ」が建っていて、あまり面影は無いようです。善宝寺駅跡の善宝寺鉄道記念館は閉鎖され廃墟化していますが、放置されている電車を一応見る事が出来るようです。
廃線探索 庄内交通湯野浜線(歩鉄の達人)

以下は、三吉爺さんの説明。

羽黒山と月山(がっさん)と湯殿山出羽三山といってな、
土地の人達のふか〜い信仰のお山で、
中でも山伏で有名な羽黒山には
頂上まで2キロの参道があってなあ。


2446段の石段があるんじゃ。
普通に登ると2時間は掛かる。
この石段の参道を裸足で駆け上がるのが裸足参りというわけでな。
わしらは命に関わるような困り事があると、裸足参りで神様にお助けをお願いするだ。


和夫(野口英行)のお母さんが危篤になり、回復を願って紋太さんも一緒に裸足参りをする事になります。


この話を見て、紋太さん達が登ったのと同じ石段を自分も登ってみたくなりました。
ちなみに松尾芭蕉の一行も登っています。



出羽三山神社・随神門。

ケー100の模型を置いてみました。劇中に合わせてちゃんと後期仕様で。



裸足参りのスタート。小さな社の屋根の形が随分変わっています。まさか5月に雪を見る事になるとは思っていませんでしたね。



随神門から入るとまず下りの石段があり、その後上りがずっと続くんですが、劇中では最初の石段を随神門に向かって逆走しています。現地で知って驚きました。
この方が視覚的に分かりやすいからでしょうね。





紋太さんが「力こんにゃく」に気を取られるが、休んでいる暇は無く。
石段参道の貴重な休憩ポイント「二の坂茶屋」です。随神門から写真を撮りながら1時間で到着しました。


http://hagurokanko.jp/miru/hagurosan/ninosakachaya.html
↑この通り夏場には扉がはずされて、劇中に近い外見になるようです。


ちょっと気が早いですが、ここで石段踏破の認定証をもらえます。


こちらは家族経営で、毎日石段を登って来ているそうです。ケー100で登場した際の映像を見せるととても喜んでもらえて、楽しい時間を過ごしました。後にお礼のハガキも頂きました。

営業期間は4月下旬〜11月上旬。昔(ケー100の頃)は冬を挟んで毎年建てては解体を繰り返していたそうですが、今は何年も建ったままだそうです。地面は土まる出しで、まさに掘っ建て小屋。何と電気も来ていません。店内でも白い息が出ました。

店内に飾られていた大正時代の写真。大正14年(1925年)、皇太子(後の昭和天皇)の行啓の際のものだそうです。創業は何と江戸時代とか!


茶屋の裏からは庄内平野が一望出来て、日本海まで見えました。



紋太さんの休憩の提案に「途中で休んだりしたら、裸足参りは効かなくなってしまうんだ!」と返す和夫。きびしかのー。


国宝の五重塔。二の坂茶屋と通る順番が逆になっています。キャプ画は省略。




「おい!僕を轢くつもりか!こらー!」へばった紋太さんがケー100に追い立てられるw
五重塔からすぐの所です。


40年前を再現w


雨が降ったり止んだりで濡れていて滑りやすいので、歩くのが怖かったです。靴が泥だらけになりました。向ヶ丘遊園の大階段ならまだ安全そうだけど、良くこんな不規則な石段であんな撮影が出来たもんだなあ。



和夫も紋太さんもケー100も山頂に到着!




三吉爺さんに「裸足参りはな、大人に限って最後に滝に身を打たれないと、おしまいにならないんじゃ」と言われてその通りにする紋太さん。もう踏んだり蹴ったりですw
劇中の右端の影は、写真に写っている木でしょう。


この須賀の滝は、参道の最初の方にあります。滝の手前には祓川(はらいがわ)があります。

http://www.youtube.com/watch?v=06pHnUf6ApY
出羽三山神社や須賀の滝の動画をアップしてみました。


登場順とは逆になりますが、羽黒山からノブちゃんと三吉爺さんが使ったというバイパスをバスで下り、鶴岡銀座商店街にやって来ました。



鶴岡銀座商店街のまつや玩具店。紋太さんが何でも屋として買い物をした店のうち現在も営業しているのはこちらだけで、検索で見つけました。1945年(昭和20年)創業だそうです。
http://www.kobaecha.com/search/ginza/0004/


ロケで使用した物には実際にこの商店街で買った物もあったのでしょうか?





紋太さんがケー100を駐車していたのは「エビスヤ」の前。
まつや玩具店の店主であるおばあさん(ケー100のロケの事は全く知りませんでした)に聞くと、「エビスヤ」があったのは現在鶴岡市コミュニティプラザ・セントルがある場所との事。後で調べた所、正確には「エビスヤ書店」だったようです。
鶴とあんころ餅(^.^):エビスヤ薬局



南西に見えるのは何という山でしょうか。

まつや玩具店を出た紋太さんを追ってカメラが移動。左端の「朝日ジャーナル」の看板が付いているのがエビスヤ書店。右に見える「マルタ」は現在もあります。


「マルタ」は洋品店でした。


以前の記事で書いた通り、この買い物の場面では「大江戸捜査網」のBGMの別バージョンが流れています。
走れ!ケー100と大江戸捜査網のBGMの関係 - きーぼー堂
大江戸捜査網DVDコレクションが朝日新聞出版から2014年1月7日に創刊されます。1冊4話で全75冊という事は計300話ですが、恐らく三船プロ制作分だけでしょう。
http://www.asa-takamatsu.co.jp/topics/detail.php?id=251


第30話 それ行け登れ!二千段あらすじ(走れ!ケー100応援サイト 発車オーライ!走れ!ケー100)



湯浅憲明監督・関根恵子主演の映画「成熟」(1971年、大映)は鶴岡市が舞台になっていて、湯野浜温泉駅も少し登場します。DVD化済み。
脚本はケー100で第1話や山形編も含めて22本を書いている高橋二三氏です。



ちなみに二の坂茶屋では絵葉書とこの庄内方言手ぬぐいを買いました。

鶴岡駅の改札で見つけた、1947年制作の石膏のハチ公像。この像は湯野浜温泉の冨士屋旅館(1982年廃業)を経て、鶴岡市役所藤島庁舎(旧藤島町役場)に保管されていて、いつしか正体不明の犬の像となっていたのが、渋谷駅前の2代目ハチ公像(初代は戦時中に供出)の試作品と判明。2012年6月に鶴岡駅に設置されたそうです。


ハチ公と鶴岡とは、新聞に寄稿してハチ公を有名にした動物愛護家・斉藤弘吉が鶴岡出身という縁があります。
http://www7.ocn.ne.jp/~chido/hachiko.htm


旅程まとめ
●2013年5月2日
出発
【神奈川】横浜・放送ライブラリー
実写版忍者ハットリくん第1話、お荷物小荷物最終話など視聴


●5月3日
【山形】鶴岡・出羽三山神社


●5月4日
【青森】青い森鉄道 向山駅ミュージアム津軽鉄道ストーブ列車乗車
あけぼの乗車(弘前→上野)


●5月5日
【静岡】熱海駅天竜浜名湖鉄道 天竜二俣駅転車台見学ツアー、遠州鉄道30形乗車
【東京】八王子駅


●5月6日
【東京】高尾駅
【千葉】俺妹ラッピングモノレール
千葉モノレールの「俺妹」ラッピング編成を撮影 - きーぼー堂
帰宅


走れ!ケー100ロケ地探訪(3)大阪(後編)大淀・中津

伝説のドラマ「走れ!ケー100」道路を走る蒸気機関車で日本縦断! - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(1)門司港駅・関門トンネル・旧門築大久保駅 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(4)山形〜羽黒山(出羽三山神社)・鶴岡銀座商店街〜 - きーぼー堂



「走れ!ケー100」オープニング

走れ!ケー100ロケ地探訪(2)大阪(前編)御堂筋・中之島公園・(株)オーヨド - きーぼー堂
↑の続きです。



2013年10月4日撮影
中国料理の店から出て来た紋太さんが、恩師・野川先生に偶然出会います。
「大淀飯店」があった一帯は関西共同印刷所(大淀中3丁目14-11)となっています。
大淀小松とこの大淀飯店でロケ地は大淀が中心と確信しました。当時の住宅地図で辛うじて特定。


野川先生を演じる藤岡重慶さんが初めて映るカットは、渋い顔でタバコを吸っていてヤクザか何かにしか見えず、先生と分かった時は凄く意外でした(汗)



2013年10月4日撮影
修理工場(大淀小松、現・オーヨド)から試運転中に制御が効かなくなり勝手に走り始めたケー100。右のビルは当時も今も橘香料(大淀中3丁目14-2)。ケー100は修理工場に向かって進んでいる事になり、この直前のカットからすると逆戻りしています。


2012年10月24日撮影
ケー100を探し阪急中津駅の近くの浜中津橋を歩く隆たち。中之島公園で節子さんと出会ってから約3km歩いて来ている事になります。あまり変化が無いので劇中画像は省略します。


この付近は緒形拳主演の映画「野獣刑事」(1982)でも阪上(泉谷しげる)の車の暴走シーンのロケ地となっています。
参考:ロケ地■北区中津: 映画「野獣刑事」信者



2012年10月24日撮影
浜中津橋は、日本最古の鉄道鉄橋です。明治7年の東海道線大阪〜神戸開業時にイギリスから輸入されて下十三川橋梁として架けられ、その一部が昭和10年に道路橋として転用されて現在に至っています。


大阪市:浜中津橋(はまなかつばし) (…>橋>橋の紹介)



2012年10月24日撮影
歩いている下をケー100がやって来るのに、隆たちは気付かないわけで。ここは修理工場から約1kmです。


2012年10月24日撮影
残念ながら、現在はこのトンネル状の空間には柵が設置されていて入れません。まるで廃線跡みたい。後で登場する中津二之橋が見えます。



2013年10月22日撮影
ケー100と阪急電車と日本最古の鉄道鉄橋の共演が実現。ここを出てケー100は急停車。阪急梅田駅〜十三駅間は良く歩いているので、ケー100のロケ地の中でも一番身近な場所です!

2012年10月24日撮影
ケー100の模型と記念撮影



2012年10月24日撮影
国道176号線の十三大橋。十三大橋を含め、この界隈は村上かつら「淀川ベルトコンベアガール」(全3巻)の舞台でもあります。
あげ工場で働く16歳の少女、かよは鉄橋の下で阪急電車がすれ違う間に3回願い事を叫ぶと叶うという噂を信じて「ともだちが、ほしい!!」と叫びます。


参考:淀川ベルトコンベアガール@大阪淀川区十三 - 人は島嶼にあらず



嘉代(紋太の母)「えーなーノブ!今日中に紋太を見つけんと、今月分の給料やらんからな!」
ノブちゃん「おかみさんそんな無茶な〜〜・・・」

2013年10月4日撮影


看板が見える北大阪運送は、現在は同じ場所で新北大阪運送と名前を変えています(大淀中3丁目11-8)。カメラが左に移動して行きます。

劇中で映っていたのと同じ建物は見当たりません。




2013年10月4日撮影
奥から来た嘉代が野川先生に激突、紋太さんは左へ逃走。左の会社の人達(?)がロケを見物しています。
直前のカットと同じ建物が奥に見えるので特定は出来ましたが、全く面影がありません。このカットでは一瞬左上にマイクが映り込んでしまっています。ケー100では琵琶湖、静岡編、能登の海岸など、良く見られる現象ですw



2013年10月4日撮影
紋太さんが逃げた方向へ行き、交差点を左へ2回曲がるとここに出ます。左奥にまた橘香料のビルが見えています。ここはケー100が走っている時にも全く同じアングルで登場。



2012年10月24日撮影
紋太さんが追い付かれたのは、道路から淀川の堤防に上がる歩道橋。


2012年10月24日撮影
中津二之橋といい、大正14年(1925年)製。昔は黒かったとは。ここも以前から知っている場所です。


同型で近くにある豊崎一之橋がAIRのオープニングで登場しています。ケー100を見た事があってAIRもプレイした人ってそうそう居ないですよねー。


ホームページ移転のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ




2012年10月24日撮影
阪急、特に京都線の車窓から良く見えます。橋の下の長柄運河は1969〜71年に埋め立てられたはずですが*1、ケー100の1973年当時でも水が流れていた事が確認出来ます。なぜ?


参考:十三のいま昔を歩こう : Category [ 長柄運河を歩く ]




中津二之橋を横から。堤防側の地形が変わっていて撮りにくいです。


長柄運河跡を利用して阪神高速淀川左岸線の延伸部が建設される予定で、そうなれば風景は大きく変わり、これらの歩道橋は撤去されるかも知れません。2013年2月に計画凍結の解除が発表され、地下40m以深に4車線の予定で、2020年度(平成32年度)完成予定という事です。


完成予想図は阪神高速道路株式会社 公式サイト淀川左岸線より。




2012年10月24日撮影
真ん中の工場に注目。

堤防の上から 2012年10月24日撮影
ここは、手塚治虫先生が(旧制)北野中学時代に勤労動員で働かされた大阪石綿という工場の跡地です。
こちらに掲載されている古い地図で確認出来ます。

のりみ通信 六稜会館での手塚治虫作品展

2014年1月23日追記:大阪石綿の跡地はサッパボイラとされていましたが、そこでは無くすぐ近くの別の場所という可能性が出て来ました。こちらの記事のコメント欄をご覧下さい。
ゴリモンな日々 | 手塚治虫ゆかりの工場は中津の淀川沿いにありました


当時の体験を元にして描かれた自伝的漫画「紙の砦」(1974年)では旋盤工場という設定で、最寄りの阪急中津駅、淀川の河川敷(まさにこの辺り)が登場したりしています。


現在は日本で唯一蒸気機関車のボイラー修復を手がけている会社として有名な「サッパボイラ」があります。いつの建物なんでしょう。サッパボイラは、有価証券報告書では大正7年現在地で創業という事になっているのが謎です。


2012年10月24日撮影
汽笛が聞こえた方向へ紋太さんは走り、ケー100を発見。道路標識が同じですね。
左上に建っていた小屋は無くなっています。



2012年10月24日撮影
遂にケー100を見つけた!後ろは東海道線大阪〜塚本間の下淀橋梁。


2012年10月24日撮影
後ろは新十三大橋。

2012年10月24日撮影
ケー100は右の坂を上がって来ました。




2012年10月24日撮影
隆と紋太さんが感動の再会を果たした場所!背後の広い敷地は大淀配水場で、現在は梅田スカイビルが目立ちます。



2012年10月24日撮影
ノブちゃんに「紋太さんは北海道行きをやめて鹿児島へ帰る事になったんよ」と告げられ怒る隆に「隆くん、実はな・・・」と言いかける紋太さん。
劇中では朝日放送(ABC)の電波塔、大阪タワー(1966年完成、2009年解体)とホテルプラザ(1969年完成、2011年解体)が見えます。

2013年10月4日撮影
ちょうど一年後。かなりマンションの建設が進んで窮屈な感じに。


対岸からの大阪タワー 2007年7月8日撮影


2009年3月27日撮影
大阪を舞台にしたウルトラマン第26・27話「怪獣殿下」前・後編では、科学特捜隊が怪獣ゴモラ対策本部を大阪タワーの展望台に設置するそうです。ウルトラマンもケー100もキー局はTBSですが、いわゆる「腸捻転」時代なので関西での本放送は朝日放送でした。


ケー100では登場人物が現実の地理からすると有り得ない道順や速さで動いている事が良くありますが、大阪編はロケ地が狭い範囲に密集していてほぼ自然にまとまっています。地元では無いけど、ケー100が自分が良く通る場所に来ていたと分かったのは嬉しいですね。



大阪編ロケ地探訪・動画版もご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=ri6IRxN9lD4


登場順
A:修理工場(大淀小松→オーヨド)
B:大淀飯店
C:橘香料
D:浜中津橋
E:北大阪運送
F:紋太さん嘉代に発見され逃走、嘉代が野川先生に激突
G:中津二之橋
H:隆と再会
Googleマップでケー100大阪編ロケ地マップを見る


『走れ!ケー100』応援サイト・発車オーライ・走れケー100トップ
↑こちらで12月1日の走れ!ケー100 40周年記念パーティーの参加者を11月8日(予定)まで募集しています。大野しげひささん、大川栄子さん、秋元京子さんら出演者、スタッフに会える貴重な機会です。私も参加します!


第10話「隆くんがやって来た −大阪の巻−」あらすじ


ブラック・ジャック「アリの足」舞台探訪@大阪梅田・阪急百貨店前 - きーぼー堂
月光仮面に見る昭和30年代の大阪(1)大阪駅前1 - きーぼー堂
忍者ハットリくん ニンニンふるさと大作戦の巻(1983)舞台探訪@伊賀上野 - きーぼー堂


走れ!ケー100ロケ地探訪(2)大阪(前編)御堂筋・中之島公園・(株)オーヨド

伝説のドラマ「走れ!ケー100」道路を走る蒸気機関車で日本縦断! - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(1)門司港駅・関門トンネル・旧門築大久保駅 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(4)山形〜羽黒山(出羽三山神社)・鶴岡銀座商店街〜 - きーぼー堂


C.A.L、TBS制作 走れ!ケー100第10話「隆くんがやって来た ―大阪の巻―」(1973年6月15日放送)のロケ地探訪です。


動画版もアップしました。
https://www.youtube.com/watch?v=ri6IRxN9lD4



サブタイトル画面は中之島公園の彫像「緑の賛歌」。1973年4月16日に除幕式があったそうで、ケー100撮影時はまだ1ヶ月しか経っていません。


左が府立中之島図書館、右が大阪市中央公会堂です。たまに中之島図書館に来てるのに、この像の存在は全く意識してなかったです。



阪神高速環状線・池田線の分岐点付近。手前は渡辺橋。えてすけさんに教えてもらいました。
中之島フェスティバルタワー(2012年竣工)のレストランから撮影。1958年から2009年まであった新朝日ビル(フェスティバルホール)の跡地に建てられました。朝日新聞社系のビルが使われたのはケー100が朝日放送で放映されていた事と関係があるのかも?


下の写真で左下に見える大阪朝日ビル(1931年竣工)は現在解体中です。


●御堂筋



淀屋橋駅の辺りの御堂筋。カメラが左へ回転します。


右下のビルは大阪三菱ビル(1969年竣工)。左の京阪電車の宣伝看板が付いているビルは「ゴジラの逆襲」(1955)でゴジラに壊された石原ビルディング(1939年竣工)。


参考:気まぐれ特撮道 特撮ロケ地巡り〜大阪編2(中之島〜その2)




隆(長田伸二)が中央分離帯を歩いています。



「隆ちゃん」と呼ばれて振り向く隆。さっきと立ち位置が変わっています。奥は当時は東京銀行大阪支店だった大阪東銀ビル(1970年竣工)。既に店舗は閉鎖していて、高層ビルに建て替えの計画があるようです。



いとこのカオリ(中森肇子)登場。右は日本生命本店本館(1938年1期、1962年2期竣工)。



「銀行」の看板が映っていたので、御堂筋に面した銀行を探しました。これは中之島図書館にあった当時の住宅地図で、星印が隆の居た辺りです。


これまた中之島図書館で見つけた「安田信託銀行五十年史」(1976年)に載っていた大阪支店。掲示板が新しくなっていますが、右下が劇中で登場した場所です!

現在の京阪御堂筋ビル(旧東京建物ビル、1985年竣工)。先代の東京建物ビルは渡辺仁設計、1931年竣工だそうです。
淀屋橋駅は良く使っているのに、映像を見ても全然気付きませんでした。


ここまで全て2013年2月3日撮影。
それにしても隆くん、紋太さんと連絡を取れてないし、どの道を通るかも分からないのに鹿児島から大阪へ来てケー100に会おうとするのは無茶じゃないかなー。それでも奇跡的に会えるわけですがw


●自動車修理工場


線路も無いのに汽車の音が聞こえるので整備士2人が飛び出して行くと、道路からケー100が来てびっくり仰天!

整備士コンビは大村昆さんと高田二郎さんが演じました。



左右の建物が同じ。


「巴自動車工業」を検索しても出ず、特定に苦労しました。巴〜の右隣の建物は、瓦屋根は見えなくなりましたが当時と同じです。


特定に繋がったのが、この「大淀小」と別のカットの「小松株式会社」の文字。


検索すると、株式会社オーヨドのサイトの沿革が引っ掛かりました。
http://www.oyodo.co.jp/company/com_001.html

昭和24年8月 現本社所在地に大淀ヂーゼル工業株式会社として設立
         主としてディーゼルエンジン整備に携わる(中略)
昭和44年3月 商号を大淀小松株式会社に変更
昭和46年4月 小松フォークリフト売店業務開始


でも、Googleストリートビューでオーヨドを見ても劇中とは全然似ていません。

そこで当時の住宅地図を確認。向かいに巴自動車工業があり、確かに当たりでした!
社屋は完全に建て替えられていました。
大阪市北区大淀中3丁目、当時の大淀区大淀町中町3丁目です。この辺りは全く来た事もありませんでした。


オーヨドは全て2013年10月4日撮影。


中之島


2013年2月2日撮影
カオリ「隆ちゃん、お母さんがご飯やから、帰って来なさいって」


中之島図書館の北側、堂島川に架かる水晶橋です。この辺はオフィス街なので、この近くに住んでいるというのは少し違和感があります。

2013年2月2日撮影 水晶橋から見る大江橋と夕日が反射するビル。



2013年2月2日撮影 水晶橋の橋灯。奥は大阪市役所。

水晶橋は1929年(昭和4年)竣工。
ゴジラの逆襲」などでもロケ地になっています。
参考:特撮ロケ地巡り〜大阪編1(中之島〜その1): 気まぐれ特撮道




2013年2月3日撮影 中之島図書館の南側。
カオリ「なあ、隆ちゃん、お腹すいたわあ・・・なんか食べへん?」
隆「ケー100と・・・ケー100と会えるまでは、何も食べとう無いんじゃ」


おいおい隆くん、それはかわいそうだよw
あちこちケー100探しに付き合わせられても、最後は水筒を渡して「隆ちゃん、さよなら!」と笑顔で見送ってくれるわけで。良いいとこが居て羨ましいw



2013年2月2日撮影 例の像が映っています。
節子「(階段を駆け上り)隆ちゃん!鹿児島の末永隆ちゃんじゃないの!」
隆「ええ?」
節子「あたしよ、岡本節子!」
隆「(指差しながら)そうじゃ!あんたじゃ!」


第1話以来の対面とは言え、ちょっと失礼w 第1話以前にも会ってるよね?
最初はこんな反応だったのに、同じ話の終盤では「お姉ちゃん!」と泣きつくぐらいに親しくなってるのが面白いです。


オマケ。祖父撮影の、昭和30年の中之島公園。この写真には田畑一作*1(タイトル判読不能)、別の写真には山脇正邦の「葡萄」というタイトルの彫像が写っています。

Googleマップでケー100ロケ地マップを見る


後編に続きます。


参考サイト
『走れ!ケー100』応援サイト・発車オーライ!走れ!ケー100
第10話「隆くんがやって来た −大阪の巻−」あらすじ

*1:田畑一作は1915年(大正4年)生まれ、1947年に東京駅RTOのレリーフを製作した彫刻家の一人らしい。JR東京駅RTOのレリーフ(昭和モダン建築探訪番外編) : 関根要太郎研究室@はこだて