走れ!ケー100・40周年記念パーティー参加レポート

12月1日、東京・銀座スターホールで開催された「走れ!ケー100」40周年パーティーに参加しました。『走れ!ケー100』応援サイト・発車オーライ・走れケー100管理人の山田さんの主催です。


ケー100東京ロケ地巡りから直行。ケー100のオフ会は初参加で、20代は僕だけかと思ったら、何と10代の参加者が!お父さんの影響だそうで、親子共々での参加でした。

出席者はケー100関係者15名、ファン40名の55名(山田さん含む)だそうです。
会場の全体の様子が分かる写真は撮り忘れてしまいました。

梅津良典さん製作の6分の1サイズのケー100。本物そっくり!
製作されているとは知らなかったのでとても驚きました。


梅津さんは40年前に日本橋高島屋でのイベントで大野さんらケー100出演者と一緒に写真を撮った事があると明かして会場を湧かせていました。
その写真がこちら。
梅津良典氏提供・日本橋高島屋撮影会(発車オーライ!走れ!ケー100)

そしてその写真を持って40年ぶりに一緒に写真を撮っていましたね。



左から
・石橋正彦(ペテン師)役の杜澤たいぶんさん
  (ケー100当時は杜沢泰文名義)
・岡本節子役の大川栄子さん
(「キイハンター」谷口ユミ役など)
・伊賀山紋太役の大野しげひささん
・第45話天草編 ナオコ役の橋本美佳さん
 (「イナズマン」「事件記者チャボ!」などにもゲスト出演。現在は朗読公演などで活動中)
・ノブちゃん役の秋元京子さん


杜澤さんは「大野先輩」に会う機会がずっと無かったそうだから、4人が揃うのは1974年以来39年ぶりです。
石井トミコさんも来られたら良かったんですけどねえ。
大川栄子さんは偶然にも誕生日でした。


出演者・スタッフ・ファンのオフ会は以前に数回開催されていますが、大野さんはCM制作会社「グリーンプロモーション」社長として多忙で、今回が初出席なのでした。


企画の佐賀邦夫さん、青野暉監督。番組の正式なスタッフでは無いものの一貫してケー100の整備を担当し、今年40年ぶりに佐賀さんと再会した「靖さん」こと斉藤康信さんなど、40周年に相応しいそうそうたるメンバーが揃いました。


世田谷区代田の整備工場・池田自動車で撮られたケー100。小田急線から丸見えだったそうです。RailMagazine93年12月号より。


康さんは割と『「走れ!ケー100」の青春』で描かれているイメージの通りの方でした。1973年当時は24歳。ケー100のレール走行用車輪製作の際は、今のようにネットも無く調べられなかったので自分で池田自動車の前の小田急線の線路を測って1067mmと分かったそうですw
もし京王線(1372mm)とかだったら後が大変でしたね。


池田自動車での貴重なケー100のカラー写真はこちら。
ケー100 ダンボールで実物大を作ろう!



カレー屋さん手作りの実物大ナンバープレート(270×130mm)。佐賀さんが個人的に作成していた図面を元にしているそうです。


紋太さんの衣装を着ているのはカレー屋さんです。
最初はこの辺りに大野さん、大川さん、秋元さんがいらっしゃって、至近距離でお話を聞く事が出来ました。


大野さんが第1話で共演したハナ肇さんは演技についてとても厳しく、「大野ちょっと来い」という感じで呼び出され、隆くん(子役の長田伸二さん)に負けてどうするというような事まで言われたそうです。青野監督曰くハナ肇さんは「叱り魔」。

パンフの表紙は台本そっくりのデザインで、記念品としてケー100のナンバープレート型ピンズと、佐賀さんが74年当時の打ち上げ用に作ったはんこをアレンジしたシールも頂けました。

秋元さんと大川さんから、佐賀さん(右)と青野監督(左)に花束が贈られました。


会場では佐賀さんが保管していたケー100のオリジナルBGM(15分程度)が流れていました。打ち上げ会場で流すために編集されたオープンリールの6mmテープで、サントラが発売されていないため現在聞ける唯一の音源となっています。


第26話から使用された「ピポピポ旅行」のアレンジ版、最終話ラストで使用された「いいじゃないか」のインスト版が聞けたのは嬉しかったです。

レコード、ソノシート、ソフビフィギュアなど放映当時の超レアなケー100グッズ大集合!一つ一つが見づらいですが。

ケー100のハンカチが存在したらしいというのは知っていましたが、まさか現存していたとは。

この他、展示されていたソノシート付き絵本「サンテレビえほん35 冒険旅行 走れ!ケー100」と同じサン企画から「サンテレビ名作シリーズ14 走れ!ケー100日本1周冒険旅行」*1(SM-14 構成:佐藤哲信、絵:大川明)も発売されています。

実物のケー100と違い、フェンダーミラーが付いています。台本表紙のイラストと同様。


左上は現存する唯一のケー100の部品、正面のナンバープレートの下に付いていた煙室扉ハンドル。なぜ残っているのかというと、2号車が沖縄こどもの国に送り出されるより前に交換され、佐賀さんが保管していたそうです。
右下の黒い物は別府での1号車炎上の際に焼け残り、後日側溝から発見されたブレーキシュー部品。


ちなみにケー100は放映終了後に2号車が静岡県富士宮市朝霧高原グリーンパーク、3号車が沖縄こどもの国に譲渡されましたが、どちらも現存しません。
ケー100は今・・・
走れ!ケー100 各劇用車の比較


この部品の存在に気付かず見逃してしまった方もいました。僕が気付いたのは片付けが始まった時です。


シー9156さんが小学6年生の時に作ったというケー100飾り棚!ケー100だから大事に残しておいたそうです。

裏面に大野さんにサインをして頂いていました。


シー9156さんのブログで飾り棚と会場の様子の写真がアップされています。
ケー100の巻('74、'13) ( 女性 ) - KH1の最旧アイドル・パトロール(独りよがり歌謡エッセイ) - Yahoo!ブログ


「最終回にほえろ!PART3」掲載の青野監督インタビューを引用します。

放送が終わってから、ソビエト(現ロシア)との合作映画の話が持ち上がったんですよ。その時に、こちらからサンプルとしてさっきお話した京都編を持っていったんです。それを観せたら大変気に入ってもらえましてね。


あちら側のOKが出て、日本の映画会社を見つけようっていう話になったんですけど、結局どこもノッてくれる所がなくってね。流れちゃったんです。ケー100が北海道からシベリアに渡って、レニングラードに向かう……っていうようなけっこう壮大な構想を考えてたんですけどね。

ケー100が沖縄へ行かなかった場合のパラレルワールドという感じでしょうか。見てみたかったなあ。
青野監督に聞いてみた所、間宮海峡を通るルートで、実はケー100はレニングラードの工場で造られた機関車だった、という話にするつもりだったという事です。その手がありましたか!


脚本は作られておらず、企画書も残っていないそうです。

二次会で軽井沢グリーンランドさんが配ってくれた、「青野監督の夢 レニングラード到着!」と題した40周年記念イラストの絵ハガキ。宮殿広場ですね。
ちょうど青野監督とロシア編の話をしている時に渡されたので驚きましたw


大野しげひささんは山田さんによるインタビューの中で、監督にスケジュールは大丈夫か聞かれて、もし撮るならやらせて下さいよと答えたものの、待てど暮らせど話が来なかったと語っています。
大野しげひささんインタビュー 第2回 | Bendithmovies分室 - 楽天ブログ


青野監督は紋太さんがトンガに招聘されて交通大臣になるという話も考えていたそうです。

青野監督にして頂いたサイン。


ケー100が高知・桂浜に漂着、見つけた青年が運転してロサンゼルスに向かう内容のテレビでの続編の企画書(DVD後半分の解説書に掲載)には全く関与していないそうです。続編の登場人物「国木田みどり」と同名の女性が 『走れ! ケー100」の青春』に登場している事からして、佐賀さんが書いた企画書なんでしょう。


最後は大野さんの提案で出演者によるトークショーとなりました。大野さんはさすが元テレビ司会者という手際の良さで、スタッフも一人ずつ呼んで喋ってもらっていました。


出演者・スタッフが会場内に散り散りに居るため一部の方のお話しか聞けなかったので、とてもありがたかったです。

大野:撮影の時いつも正彦がいじめられたりするんだよね。子供たちに。それを慰めるのが大変でしたね(笑)
杜澤:いつも大野さんがかまってくれるの(笑)
大野:それは自分ではどう思ったの?

杜澤:憎まれているんだなっていうのはもう、ドラマで演じているだけなんですけども、蹴っ飛ばされたりつねられたりひじ鉄食らったり、多分大野さんも知らない所で、本当にここ(腕)に痕がつくぐらいつねるんですから。

聴衆:え〜〜〜(笑)

杜澤:それでね蹴っ飛ばされた後青あざがつくんだから!


大野:自分でアイディアを出して、監督こういう風に紋太さんをいじめたら良いんじゃないんですかってやってたじゃないの。あれはどうなんだよ(笑)だいぶアイディア出てたよね僕が見た所?

杜澤:いや〜〜それは無かったと思いますよ〜?
大野:あれ監督の指示?
杜澤:いやあの〜〜監督は何にも、仰いませんでした。
大野:じゃあお前じゃねえかよー(笑)
杜澤:えーだからそれはそうなんでしょうけど・・・(笑)
大野:今になってごまかさなくて良いよー!40年前の恨んでないから!


杜澤:監督は何にもああしろとかこうしろとか(仰らなくて)、逆に僕は言われないんで不安でしょうがなかったですね。何でも「良いのかなここまでやっちゃって?」って感じで、まずかったら監督が止めてくれるだろうと思いながらやってました。だから監督は何にも・・・(青野監督の方を見て)監督そうでしたよね?逆に不安になりながらやってました。

杜澤さん、苦労してたんだなあ・・・。確かにケー100をあんなにいじめる役では子供に恨まれるのも仕方無いかも知れません。


その一方で、ファンになってくれた女の子もいた事が「石橋正彦裏話」その4に書かれています。
http://k100.tobiiro.jp/taibun/urabanasi/uranabasi.htm

大川:私凄く印象に残ってるのは、杜澤さんがおっきなあめ玉を頬張って、「節子さんもどうぞ」って言うのよ。

※杜澤さんはさり気なく頬を膨らませてその場面を再現していましたw


そんな大きいの頬張れないって私が「フン」ってやったら「では僕が」って両方に頬張ってセリフを言って、「この人って、あたしを食う気だわ!」って感じで。

杜澤:「愛くるしい人!覚えておこう!」※劇中のセリフ
大川:愛くるしいって!(笑)それすごーく心に残ってますよねー。

第43話「奇跡が起こった! 平戸の巻」での杜澤さんの面白芝居!
いくら節子さんに冷たくされても全然食い下がらない正彦がおかしかったですね。
ここ、台本ではどうなっていたのか気になります。


最後の挨拶。

●秋元京子さん
今日は本当に大勢全国から集まって来て頂いてありがとうございます。本当に嬉しいです。また来年再来年も皆様が集まれるように・・・、山田さーん!ありがとー!またよろしくお願いしまーす。


●大川栄子さん
本当に40年って凄いんだなーと思って、山田さんから今日の日にちを伺った時に、「あ、あたしの誕生日だわ」と思って、今朝起きた時に、自分の誕生日っていうよりも前に「今日みんなと会えるんだなー!」って思ったんですね。で、その後に「あ、あたしは誕生日なんだ」って思って、あ、なんかご褒美が頂けたなーって何よりの誕生日プレゼントを頂けたなーと思って、本当に一つのドラマで40年経ってもこんなに熱い思いで、一つの所に集まる気持ちって本当に無いので、この機会このひと時を大切にしたいし、この機会を長い間一生懸命に作って下さった山田さんに感謝いたします。ありがとうございました。


●杜澤たいぶんさん
ケー100が40周年って、いや凄いですよね〜毎回機会があって時間が許す限り出席させて頂いていますけれども、皆さんのこのドラマに対する思いっていうのが、改めて分かりました。
僕あの本当に申し訳ないんですけど、ケー100の後半の本当に最後の方にちょこっと(しか)出てないのに、こういう席に来させて頂きまして本当にありがとうございます。皆さんもどうぞお元気で。

大野しげひささん
僕は本当にこの「走れ!ケー100」っていうのを何事も無く一年間過ごしたつもりだったんだけども、こうやって40年、皆さんから熱いエールに、思い焦がれてるっていう事に、何か自分の人生が、何だろう嫌な世の中の中でね、「あ、こんなに俺幸せなんだ」っていうね、一言で言うと皆さんから幸せ頂いたんでね、この幸せを、本当に世の中、これから僕どのくらいあるか分かりませんが、天国に行くまで、はみ出ないように、日本人の持ってる思いやりとかそういう礼節を、本当に大事に、皆さんの思いを決して踏みにじらない、ダメにしない、そういう己を貫きたいと、僕は改めて誓いました。


ですから皆さんも、是非僕を中心に、素晴らしい人生でありますように。ありがとうございました。


締めは父子揃っての「いいじゃないか」「ピポピポ旅行」弾き語りフルコーラスで、出席者も歌って大盛り上がりでした。


14時開始、予定の16時を越えてあっという間の2時間でした。
これほど番組のファンと出演者・スタッフが近い距離で話せるイベントは相当珍しいと思います。


それから青野監督らを交えつぼ八(これまた偶然にも創業40周年)銀座五丁目店での二次会へ。
ネット上では2004年から交流があった山田さんともじっくり話し合えました。康さんの指導によりケー100製作が実現するかも!?


ケー100出演者、スタッフ、ファンの方々、そして山田さん、ありがとうございました。またこういうイベントがあれば参加したいです。


ケー100を見たくても見られない方が多いのでDVDの再発売・再放送、そしてサントラ発売を関連会社の方、見ていたらお願いします。


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初めて見た銀座和光。新宿から夜行バスに乗って大阪に帰りました。

*1:裏表紙のタイトル表記は「冒険旅行 走れ!ケー100」