走れ!ケー100ロケ地探訪(1)門司港駅・関門トンネル・旧門築大久保駅

伝説のドラマ「走れ!ケー100」道路を走る蒸気機関車で日本縦断! - きーぼー堂
↑でケー100について説明してあります。
走れ!ケー100ロケ地探訪(2)大阪(前編)御堂筋・中之島公園・(株)オーヨド - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(3)大阪(後編)大淀・中津 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(4)山形〜羽黒山(出羽三山神社)・鶴岡銀座商店街〜 - きーぼー堂



静岡県富士市のMonsieurさんから、1974年頃に富士市のSBSマイホームセンターでケー100が展示された時の写真を提供して頂きました!*1


この時行ったNishimotoさんの証言によれば大野しげひささん自身による運転があり、静岡放送のWikipedia記事でも大野さんのサイン会があったという記述が。ケー100応援ページ管理人の山田さんを通じて佐賀邦夫さんに聞いて頂いた所では、静岡の住宅展示場でイベントをした覚えはあり、その時は佐賀さんが運転したそうで、謎です。


ケー100が沖縄こどもの国に譲渡されてから、佐賀さんの知らないうちに沖縄を離れてイベントをしていたという事はあったようですが。


今回は第5話「しぶきをあげて突破せよ! 北九州の巻」ロケ地探訪です。


1973年4月撮影、5月11日放送
脚本:田村多津夫
監督:青野暉


2012年5月、名門大洋フェリーで中学の長崎の修学旅行以来で九州を訪れました。
5月3〜5日の3日間滞在、遠征の成果をブログで報告するのは今回が初めてです。


第5話で、ケー100は鹿児島を出発してから最大の困難に直面します。


「門司」とテロップが出るのは門司港レトロ地区の旧大阪商船付近。完全に逆光なのが残念。周囲の様子がかなり変わっていて、ケー100が走った港沿いの道路も今は有りません。




めかり公園ノーフォーク広場から見る関門海峡関門橋


男の子が突然現れ、ケー100に接近します。


船長の息子(ゲストの子供では珍しく、名前が出ません)が隠れていた場所を確認。下の岩場で釣りをしている人がいます。



めかり公園への移動は、門司港レトロ観光列車「潮風号」が便利です。私は歩いて行きましたけど。



関門国道トンネル。歩道橋で嘉代が双眼鏡でケー100が来ないか見張っていました。今は歩道橋からはトンネル側しか見えません。



節子さん達がケー100の通行を交渉して断られた「関門トンネル門司営業所」は現在は無く、「門司警察署 門司口検問所」があるだけ。


フグが描かれたトンネルと門司港駅の駅舎は、高倉健主演「あなたへ」(2012年)でも見る事が出来ます。亡き妻の手紙に従って富山から長崎県平戸まで車で一人旅をする話で、ケー100ファンにもお勧めの映画です。




門司港駅
嘉代がケー100を発見して「あげな所に!」と左手前を指しますが、本当は駅舎に向かって左奥を指すべきなのです。



映像では当時の駅前はタクシー乗り場があった事が分かりますが、現在は車は入れません。


門司港駅の駅舎は、1914年(大正3年)竣工。
2012年9月から解体修理工事が始まり、現在は駅舎を見る事が出来ません。2018年に終了予定です。




赤い屋根のトイレが映っていて、さっきと2人が居る場所が変わっています。今度は正しい方向を向いています。




ケー100が本物の蒸気機関車と一緒に!数人の国鉄職員が見ています。奥の建物は旧九州鉄道本社。


最初に見た時は「門司港駅だ!」「あんな所にケー100が!旧九州鉄道本社だ!」と内心驚きっぱなしでしたw


旧九州鉄道本社は1891年(明治24年)竣工、2003年からは九州鉄道記念館として使われています。



紋太さんが国鉄関門トンネルを通してくれと職員に頼み込み、ケー100がタイヤでもレール上を走る事が出来ると実証しようとして失敗。

カットの繋がりを見ると門司港駅に隣接して存在していた門司港機関区に間違い無いです。ケー100が走ったのは、写真中央の車庫の建物の付近?


参考:門司港機関区|常設展示室|北九州市 時と風の博物館



九州鉄道記念館から、門司港駅と、見えづらいけど関門橋

毎日グラフ別冊「日本の鉄道100年」(1972年5月1日発行)より。関門橋は工事中。駅舎が近年からは考えられない汚さです。


まさにこの頃、渥美清企画・主演の映画「あゝ声なき友」(1972年4月公開、DVD発売済)で門司港駅が昭和25年の博多駅として使われました。博多駅2代目駅舎に良く似ているので、良い選択だと思います*2


玉砕した部隊で一人生還した渥美清が、戦友から預かった遺書を東京から鹿児島、長崎、萩、小樽、気仙沼など日本各地の遺族に自分の人生を犠牲にして配り歩く話です。




ポンポン船が停泊していた港。突堤が出来てるけど多分この辺りだろう、と「ブリリアン門司港」から撮りました。しかし、後で調べると・・・。



上は1974年度、下は現在のGoogleマップ。埋め立てで陸地になっていたとは予想外でした・・・。

1974年度の国土交通省の航空写真を拡大。
元画像http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/cku-74-24/c15/cku-74-24_c15_24.jpg


紋太さんとポンポン船の船長が取っ組み合いのケンカの末、何だか友情がめばえ船長はケー100を船に載せる事を了承してくれます。でもケー100が重すぎて、煙室扉は紋太さんが運ぶ事に。



船長(梅津栄)の後ろに見えるのは門司区役所(旧門司市役所)、1935年(昭和10年)竣工。



地下の関門トンネル人道。歩道は終始平坦だと思っていたら、両端は坂になっていました。奥が門司方面。




福岡県と山口県の県境。疲れて来た紋太さん、ここで気合を入れ直します。この話一番の見所が、物凄く重い煙室扉をへこたれずに頑張って運ぶ紋太さんの姿ですね。


DVDのオーディオコメンタリーの青野監督の話によれば、ロケ隊が宿泊した国民宿舎めかり山荘の奥さんに頼まれて、息子(小1ぐらい)がトンネルの通行人として出演しているという事です。「今やめかり山荘のご主人じゃないでしょうかね」と言われていますが、2012年3月に閉館した模様。

現在は逆の壁にしか県境の表示がありませんでした。
時間と所持金の都合で、下関側に出て、すぐにまた門司側へ歩いて戻りましたw


門司港レトロ観光線は田野浦公共臨港鉄道の廃線跡を再利用しています。終点の関門海峡めかり駅の先も更に線路が続いていて、森と工場があるだけで寂しい雰囲気。




ストーリーの順序では逆ですが、最後に訪れたのがここ。関門海峡めかり駅からEF30の横を通り過ぎ約700m歩きます。


当時は門築大久保駅で貨車がたくさん並んでいる様子が見えますが、現在は線路は一本だけ。当時訪れる鉄道ファンはそうそう居なかっただろうし、珍しい記録かと。


部埼灯台一般公開、旧大久保駅?、『北九州国際ビエンナーレ’07』展覧会: 門司文録:
↑ケー100の後ろに見える小さな建物は正確な事は不明ですが駅舎とも言われ、2007年時点では残っていたようです。

スクラップになっていたケー100を、最初の運転手である北海道のおじいさんに届けたいという隆少年の願いを受けて、その身代わりに鹿児島を発った紋太くん。


とにかく北九州まではたどり着いた。さて今週は、関門海峡突破の巻。海の底には車が走れる関門国道トンネルがあるのだが、何しろ煙モクモクのケー100号。果たして通る事が出来るのやら〜?

と、野沢那智さんのナレーションが入ります。





「大久保踏切」を越えるケー100。 現在は奥に新しい車庫があります。
ここを通った後で若戸大橋を渡って門司に入るのは順序がおかしいんですが、普通の視聴者には分かりませんw


「大日本産肥」の看板が映っていなければ、若松の辺りを探してしまう所でした。

紋太さんが本州上陸、「下関」のテロップが入る赤間神宮。人道入口から約1km西です。時間が無かったので門司側から。紋太さんは門司から赤間神宮まで5kmは歩いてます!


ポンポン船で運ばれた車体に、紋太さんが運んだ煙室扉、子供達が運んだ煙突やタイヤを付け直し、ケー100は無事に本州上陸を果たしたのでした。関門橋が完成する前だからこそ出来たストーリーですね。


12月1日に東京で開催される走れ!ケー100 40周年記念パーティー大野しげひささん(紋太役)、大川栄子さん(節子役)、秋元京子さん(ノブちゃん役)、青野監督、佐賀邦夫さん(企画・原作)の参加が確定していて、参加申込み締め切りは11月8日の予定だそうです。


http://k100.tobiiro.jp/doujinsi/40/40.htm
『走れ!ケー100』応援サイト・発車オーライ・走れケー100トップ



2012年5月九州遠征の日程
5月3日 門司港駅九州鉄道記念館折尾駅鳥栖駅大牟田駅
5月4日 熊本市電熊本電鉄銀水駅二日市駅
5月5日 門司港駅、ケー100ロケ地探訪


*1:写真上部に「FUJI COLOR 74」の表示あり。SBSマイホームセンターはケー100を放送したTBS系のSBS(静岡放送)が経営する住宅展示場で、ジャンボマックス・ショーなどこうしたイベントは頻繁にあったそうです。

*2:「日本の鉄道100年」では記事の筆者の千田夏光が偶然ロケに出会い倍賞千恵子渥美清と会話した様子が書かれているのですが、内容が少し不自然に感じます。

伝説のドラマ「走れ!ケー100」道路を走る蒸気機関車で日本縦断!


蒸気機関車「ケー100」が道路や海を走り日本縦断するドラマ「走れ!ケー100」は1973年4月から1974年3月まで、TBS系・毎週金曜19:30〜20:00で全51話が放送されました。今年で40周年を迎えます。写真はDVDとレコード(まきのりゆき版)。


●あらすじ

鹿児島の小学生・末永隆(長田伸二)は自宅の末永鉄工所で放置されていた蒸気機関車を、友達や近所のお兄さん・伊賀山紋太(大野しげひさ)の協力を得て動くように修理していました。

そのケー100は50年前北海道・夕張の炭鉱で働いていた機関車でした。夕張に住むケー100の最初の機関士だったおじいさん・北川久作(笠智衆!)から、死ぬまでにもう一度ケー100の運転台に座りたい、という手紙が来たので、隆はケー100に乗って夕張へ行こうとしていました。


しかし隆は作業中に足を大怪我してしまいます。隆の熱意に押された紋太が代わりにケー100を夕張まで運転して行く事を引き受けました。失われた車輪の代わりにタイヤを装着して道路を走行!


日本各地の人々との触れ合いを重ね、ケー100は旅を続けます。
ケー100で特ダネを狙うカメラマンの節子(大川栄子)、紋太を連れ戻そうとする母親の伊賀山嘉代(石井富子)、紋太の両親が営む小料理屋のアルバイトで紋太に惚れているノブちゃん(秋元京子)がケー100と紋太を追って行く先々に登場します。


夕張でケー100と久作が感動の再会を果たした後は、全国から手紙をくれたケー100ファンの子供達に会いつつ日本海側の県を通って沖縄に向かいます。沖縄では余命僅かの沖縄軽便鉄道の元機関士のおじいさんの願いを叶え、最後の一人の元へ。

隆役の長田伸二さんが上手くて、他の出演作も見てみたいです。メインキャストの中で長田さんだけが現在連絡が取れないそうです。


●ロケ地
テレビドラマ界初と言われる日本縦断ロケが大きな特徴の本作。
ロケ地をいくつか紹介してみます。


第1話終盤、ケー100旅立ちの場面。C57 154牽引の列車が通過すると、ケー100が姿を現し煙を吐きながら近づいて来ます。これがケー100と国鉄蒸気機関車との初共演です。


2012年9月9日撮影
日豊本線重富〜竜ヶ水間
鹿児島県姶良市脇元町、白濱神社付近 国道10号線


列車の車窓から動画を撮り、桜島の見え具合と劇中で菱型の標示が見える横断歩道から場所を判断しました。


ケー100が公道を走るのはもちろん警察の許可を取っていますが、前例の無い事なので取るまでが大変だったようです。

より大きな地図で ケー100 を表示

「’70年代特撮ヒーロー全集」(朝日ソノラマ)より。あらすじが少し変。
有名な番宣写真も、この辺りで撮られたようです。
トリミング前→読売新聞1973年3月20日 少年向けドラマ「走れ!ケー100」TBSテレビ系で来月13日から登場 日本縦断、全編ロケの意欲作


大野しげひささんは74年開始の「がんばれ!ロボコン」でロボコンの居候先のパパ役も演じています。
ケー100は意思を持っていて、人の言葉が分かりトーマスのように喋りはしませんが、汽笛で感情を表現します。




2012年5月5日撮影
第5話北九州編の冒頭、野沢那智さんのナレーションが流れる中、貨車が居る踏切を越えるケー100。 田野浦公共臨港鉄道の門築大久保駅付近です。現在は廃線跡を利用して2009年に運行開始した門司港レトロ観光線の車庫が奥にありますが、ここは回送列車しか通らず、寂しい場所です。


「大日本産肥」の看板を頼りに特定出来ました。若戸大橋を渡る前にここを走っているのは順序が変なんですけどね。比べると線路が減り、左の坂道が無くなって平坦になっています。


より大きな地図で ケー100 を表示


2012年5月5日撮影
同じく第5話、和布刈(めかり)公園ノーフォーク広場から見る関門海峡関門橋関門橋は完成前(開通は放映半年後の1973年11月)、関門国道トンネルと国鉄門司港駅では職員に断られ、イカダはひっくり返るし、ケー100は関門海峡を渡る手段がなかなか見つからず大苦戦。



2013年9月22日撮影
第7話、広島編。宮島が見える砂浜でケー100の中で寝ていた紋太さんが目覚めると、満潮でケー100が海の上に!厳島神社の鳥居もくぐっちゃいます。ケー100が水上走行も可能な事が判明した記念すべき回です。同じ撮影位置は無理。


2013年9月22日撮影
原爆ドームの横を行くケー100。


第10話大阪編。阪急電車が走る鉄橋の下をケー100が通過。右が中津駅・梅田駅、左が十三駅方向です。梅田〜十三間を歩く事が良くあったので、これは見てすぐ分かりました!


ケー100が通ったトンネルはフェンスで塞がれていて、草ぼうぼうで近寄る事も出来ません。


右の水色の橋は日本最古の鉄道鉄橋、浜中津橋。1874年(明治9年)大阪〜神戸間開業時にイギリスから輸入した鉄橋の一部を移設した貴重な物です。




より大きな地図で ケー100 を表示
大阪編の主なロケ地は大阪市北区大淀(当時の大淀区大淀町)、淀川堤防、中之島万博記念公園の近く。

第11話京都・滋賀編。怪我をさせてしまった舞妓さん(児島みゆき)の完治祈願のため、お母さんと一緒にケー100が京都の神社でお百度参り。車体を小刻みに揺らしながらの石段の昇り降りが迫力あります。


後に回想シーンでも登場する重要なシーンですが、残念ながらどこの神社かは特定されていません。滋賀県は琵琶湖しか出ず、ケー100で登場する県の中では最も小さい扱いです。




2012年9月27日撮影
第13話愛知編。名古屋テレビ塔の前を行くケー100。公道かと思いきや栄バスターミナルで、ここでも市街地でのロケの苦労がうかがえます。この後カメラが左に動いて映る名古屋三越栄店は今も変わらず。


愛知では村おこし計画のためにケー100が盗まれかけます。


2013年5月3日撮影
第30話「それ行け登れ二千段!山形の巻」、羽黒山の山頂の出羽三山神社。紋太さんが知り合った少年の母親が危篤に。回復祈願のため二人はこの地方の習わしだという、二千段の石段を裸足で上がる「裸足参り」を行います。ケー100も追って石段を上がって来て達成!


裸足では無いけど私も二千段に挑戦しました。劇中でも映る、途中の二ノ坂茶屋の方々にケー100の映像を見せたらとても喜んでもらえました。


京都とネタが被りますが、こちらの方がより状況が深刻で違った雰囲気の作品に仕上がっています。


●レールの上は?

古本屋で立ち読みしていて偶然見つけた鉄道ファン1973年8月号の記事。
「レールの上だけは走れない!」なんてケー100が聞いたら怒りそうです。
実はケー100は2回、レール上を走っています。


1回目は第18話「進めや進めレールの上を―茨城の巻―」。
スポンサーが日立だったため、日立製作所水戸工場でタイヤを用意してもらった車輪に付け替えるストーリーが実現しました。実際は車輪は手作り。元々車輪を付ける事を想定して設計されたわけでは無く、今で言う「魔改造」ですねw



従業員通勤用の専用鉄道を走り、勝田駅の先の常磐線と共用の踏切を通過、電車と並走!良く許可が出たものですねw この前後で踏切に多数の人が見えますが、こんなのを目撃してさぞ驚いた事でしょう。
これまで道路ばかり走るケー100を見て来たからこの光景には感動しました。


この専用鉄道は1993年廃止、線路自体は残っています。ノブちゃんや技師が見守る中ケー100が通過した勝田駅の日立従業員専用ホームは2007年時点では残っていたものの、ビジネスホテル「ライフイン勝田駅西」(2009年3月オープン)の建設によって壊されてしまったそうです。部外者が撮影するのは困難な場所なので、貴重な映像でしょう。


日立水戸工場専用鉄道跡を定点観測。|編集長敬白|鉄道ホビダス
↑現役時代のホームの写真があります。
Lococom -みんなでつくる街の情報サイト-
http://kd55-101.shumilog.com/2007/07/09/%E5%8B%9D%E7%94%B0%E9%A7%85%E3%81%AE%E6%97%A5%E7%AB%8B%E8%A3%BD%E4%BD%9C%E6%89%80%E6%B0%B4%E6%88%B8%E5%B7%A5%E5%A0%B4%E5%B0%82%E7%94%A8%E7%B7%9A%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E8%B7%A1/



2回目は第25話「大爆発!会えるかおじいちゃんに・・・ ―夕張の巻―」。
ケー100が機関士の制服姿の笠智衆さん演じる北川久作を乗せて、廃線直前の三菱大夕張鉄道大夕張炭山駅などを走りました。

笠智衆さんの子供番組への出演は異例、恐らくケー100だけでしょう。孫がケー100ファンだったから快諾したそうで、普段は絶対乗らない飛行機に乗ってまで北海道入りしたという事です。


この他、第5話でケー100がタイヤのまま門司港駅の構内に入り込んでいます。
第27話・北海道の松前松前駅(1988年廃線)の駅舎・構内、第30話・庄内交通湯野浜線湯野浜温泉駅(1975年廃止)の駅舎など、生まれる前に廃止になった路線、解体された駅舎を見られるのも鉄道ファン的には嬉しいです。


●裏番組・再放送
裏番組にはレインボーマンという強敵がありつつも好評だったため、第25話で終了予定のところ番組が継続されました。ケー100第25話の放映日にレインボーマンが終了、その後番組はダイヤモンド・アイ。



ケー100のTBSでの再放送は僅か3回で、1981年が最後らしい。関西では複数の証言から再放送は無かったと思われます。
懐かし系番組で紹介される事も無く、本放送視聴世代以外の知名度は低いです。



CSのファミリー劇場で2002年と2004年に再放送が実現、2007年にDVD-SETが前後半に分けて発売されました。しかし、現在品切れで中古品を買うしかありません。多くの人が見られるように、DVDの単巻発売、レンタルリリース、再放送を望みます。
私がケー100を知ったのは2004年、DVDを買ったのは遅く2012年です。


大野しげひささんによる次回予告は本放送時にしか流されておらず現在はフィルムが行方不明。最終話ナレーションの未編集音声素材(DVDに特典として収録)と、視聴者がカセットテープに録音した第26・27・48・49話の4話分の現存が判明しているのみです。


当時のケー100の写真、次回予告の録音などを持っている方が居たら提供お願いします。


ケー100について日本一詳しいファンサイトです。かなり参考にしています。
『走れ!ケー100』応援ページ・発車オーライ!走れケー100
私が2004年・2012年に提供したケー100関連の新聞記事
走れ!ケー100 あらすじ集 - Togetter



ヤフオクで入手した小学四年生連載の漫画版の切り抜き。2ページしか無いのでメインの登場人物は紋太と節子の二人だけ。しかもかなりキャラクターが違いますw
これは姫路城が登場する兵庫編で、神戸市の方が保管していました。


第1話では紋太の両親が1コマだけ登場。


実際の兵庫編では姫路城に加え、湊川神社前、阪急六甲駅の北の神戸市灘区鶴甲(つるかぶと)一帯や六甲山牧場が登場します。


居村眞二氏はウルトラシリーズや「紺碧の艦隊」のコミカライズを描き、2005年に亡くなったそうです。


●「ケ100」の事
ケー100(K100)は、実在の国鉄蒸気機関車ケ100形が企画イメージの原点になっています。

ケ100形 昭和20年10月、横須賀線久里浜にて臼井茂信氏撮影*1
「ケ」は762mm軌間の軽便線用の車両に付けられた記号です。蒸気機関車では、私鉄の軽便鉄道を買収した際に国鉄編入した物と、ケ100形のように国鉄が建設工事用に製造した物に分かれています。



広田尚敬さん著「蒸気機関車」(保育社カラーブックス、1968年)に掲載された、「久留米の、ある鉄屑屋の店先に置かれたケ100と思われるSL」の写真。初期の版では「と思われるSL」は付いていません。


SL物の番組のアイディアに困っていた佐賀邦夫さんが、この写真を見てケー100の企画をひらめいたとの事です*2。初期の企画書では、ケー100は久留米の鉄工所にあったという設定です。


鉄道ファン1968年7月号で、安保彰夫氏が67年7月にこの機関車を偶然発見した際のレポートが掲載されています。


山下商店ではこのロコを入手後、看板がわりに店頭へ置いてあり、当時地元紙にもニュースとして取上げられ、また近所の子供達のオモチャにされていたが、近頃は子供達も遊びに来なくなったという。

この機関車の正確な素性は全く不明。軌間を測ったら610mmだったとあるので、ケ100では無いのは確かです。「形態から判断すると、深川造船所製、ケ100系に酷似している」とあります。



鉄道ファン99年11月号より、99年6月撮影の写真。
ケー100のように元機関士が名乗り出て、地元の青年が機関車と共に旅に出る・・・なんて事は無く。


山下商店の「深川」。 - 編集長敬白アーカイブ
↑2004年9月撮影の写真があります。
蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について
↑「久留米」で探すと、細部を含め写真5枚あり。


初の九州一人旅の前に2012年5月に持ち主の方に電話で確認した所、「7、8年前(2004〜5年?)に解体した」との事でした・・・。
1948年(昭和23年)から手入れもせずに約60年置かれていた事を考えると大往生です。



「ケ」の付く機関車としては、東濃鉄道(現JR太多線)出身のケ90とケ91が保存されています。写真はケ90。2012年9月、名古屋のリニア鉄道館にて。



主題歌「ピポピポ旅行」
作詞:山上路夫
作曲:かまやつひろし(現・ムッシュかまやつ
歌:にしきのあきら(現・錦野旦)


劇中BGMの作曲は「怪奇大作戦」「大江戸捜査網」の玉木宏樹さん。
怪奇大作戦は新作の放送に合わせて、10月下旬からBSプレミアムで再放送されます。
http://www.nhk.or.jp/kaiki/


●パロディなど

ケロロ軍曹260話「ケロゼロ ケロロ小隊 出発前夜 であります」(2009年)におけるケー100と「猿の軍団」のパロディ。ケロロ達の子供時代の番組という設定。提供グリコは同じく日本縦断物の「アイちゃんが行く!」(1972年)と混ざってるらしい。


それとパロディかは判断しにくいんですが、手塚治虫先生の「ドン・ドラキュラ」の「ドラキュラ列車」(1979年)は意思を持ち勝手に動く蒸気機関車(C56)と、昔運転していて愛情を持つ元機関士が登場し、ケー100最終話を思わせるラストとなっています。


走れ!ケー100ロケ地探訪(1)門司港駅・関門トンネル・旧門築大久保駅 - きーぼー堂
走れ!ケー100ロケ地探訪(2)大阪(前編)御堂筋・中之島公園・(株)オーヨド - きーぼー堂

*1:鉄道ファン83年6月号より

*2:「走れ!ケー100の青春」P91-94