我が家のアルバムより 保存蒸機、京王デハ2410、EF58レプリカ、江ノ電300形など


今回はきーぼー家のアルバムより、幼少期の私と鉄道関連の写真を紹介します。どうせ今と顔は違うのである程度までは修正無しで掲載します。それにしても何だこの4歳にして偉そうなポーズはw


東京駅 91年9月
郡山の祖母宅へ行く途中。右には近年復元で形が変わった駅舎と東海道線113系が見えます。ホーム上に200系のシルエットが映っています。
東北新幹線東京〜上野間が開業したのはこの年の6月20日の事です。200系は意外と今も現役ですが、2004年8月以来郡山に行けていないので、長らく見ていません。


92年1月4日、川崎市東急田園都市線高津駅高架下にあった(2003年に宮崎台駅に移転)「電車とバスの博物館」に母方の祖母と行った時、モハ510(デハ3450からの復元)と記念撮影。大きなひさしが異様ですね。
東急デハ3450形電車 - Wikipedia



これは・・・8090系?(実は詳しくない)
ちなみにこの頃は川崎市のJR南武線沿線に住んでいました。

92年5月、大阪・弁天町の交通科学博物館で。
このEF58前頭部は今は現存せず、レプリカだったそうです。他に写真を見た事がありません。
EF58&EF15の掲示板 過去ログ05年10月
↑こちらで聞いた所ではナンバーはEF58 158で、本物の158号機が健在の時から存在し、交友社刊「EF58物語」に「1958年の山陽線姫路電化の際、姫路駅駅頭に飾られたものだった」、と書かれているらしい?その情報を書いた人も本が手元に無くうろ覚えのようですが。

2013年1月31日追記

「EF58ものがたり 上」(交友社、1988年)P58にその写真がありました。
「大阪姫路間電化完成記念 国鉄電化展 主催 大阪鉄道管理局 後援 神戸新聞社 4月6→13日」と書いてあるようです。ナンバーの158は1958年にちなんだ物なのか?
解説では「ブルトレ塗色」だった事になっていますが、それは1960年から登場したため、青大将色の間違い。


上記の掲示板で得られた証言によれば1962、1963年当時はブルトレ塗色で、1964〜1965年にかけてブルーの一般色に変更されたらしいです。
EF58全機紹介
こちらにある年代不明のカラー写真では、まだ先台車部分があります。


上野駅 92年7月
「スーパーひたち」651系は、新車E657系の登場で撤退が予定されていて、去就が注目されています。乗った事はあります。


多摩動物公園 92年8月16日
保存車の京王デハ2410。1940年製造、1969年引退。現在は京王電鉄平山研修センターにあり、時折公開されているそうです。
形式は今回調べるまで知らず、今までこの写真を見て「変な顔だな、事業用車?」とか思っていましたが、実は正面は反対側で、これは中間車側の貫通扉を埋めた姿なのでしたw

Wikipedia「京王電気軌道400形電車」より転載。



検査表記

K.T.R.は、
Kitakinki Tango Railway(北近畿タンゴ鉄道)の頭文字・・・では無くて、
Keio Teito Electric Railway(京王帝都電鉄)です。98年に京王電鉄に社名が変更された事もあり、現在は使われていません。東急のTKK、小田急OERなど戦後の私鉄はこぞって車体にこのような略称を書いていました。あ、小田急は今もやってますね。


94年8月15日
ちょっとした定点(?)観察・成長記録です。東京・神田の交通博物館前に展示のD51 426の前頭部と共に。昔から蒸気機関車が好きで、それは今も変わりません。

98年3月29日
この次に交通博物館を訪れたのは99年3月で、2001年春には神奈川県相模原市から兵庫県へ引っ越してしまったため、それが最後になってしまいました。

2010年11月24日
交通博物館は2006年5月に閉館、2007年10月に開館した大宮の鉄道博物館に展示物が移り、11年ぶりの再会が実現しました!大学の友人のkazuに撮ってもらいました。


青梅鉄道公園(東京都青梅市)
単に「鉄道公園」と呼び、交通博物館に比べれば近場という事もあり何度も行きました。八高線はまだ非電化でした。

94年9月 C11 1
私は後ろ。当時は子供が機関車のどこにでも登っているのが黙認されていましたが、今は「のぼらないで下さい」という看板があります。

94年10月22日
後ろのC51 5は現在は大宮の鉄道博物館で展示されていて、今は代わりにクモハ40が置かれているようです。左端のは跨って100円を入れるとのそのそ歩く乗り物。ここのボタンを押すとカンカン鳴って遮断機が降りる踏切が好きでした。

2001年1月5日きーぼー撮影 整備後のC51 5

現存するC51形4両の中では唯一教習用にボイラを切り刻まれた事が無い5号機ですが、1982年には台風による土砂崩壊で崖下に転落して破損するという不運に見舞われています。鉄道ファン83年6月号より。
再び脚光を浴びるC51 5。 - 編集長敬白アーカイブ



96年4月5日
90年代の青梅鉄道公園蒸気機関車の保存状態は、JR東日本の施設なのにかなり酷かったです。初めて一人で、5年ぶりに2001年1月5日に訪れましたが、それからもう11年も訪れていません。



95年8月6日
1枚だけバスを。郡山市福島交通大槻車庫です。

バス拡大。とっくに引退した型かな?


鹿沼交通公園(神奈川県相模原市) 98年5月5日
JR横浜線淵野辺駅の近く。ここのD52 235は、私にとって最も愛着のある蒸気機関車です。一時は解体の危機もありましたが、今は綺麗に整備されナンバープレートも付けられています。

99年5月3日、江ノ電長谷駅に到着した300形304。親のカメラを一時的に借りて撮った物で、私が撮った江ノ電の写真は現在これ1枚だけです。この日は家族揃って鎌倉大仏鶴岡八幡宮などに行っています。

99年秋?鎌倉高校前駅で353と。多分母撮影。江ノ電に乗ったのは99年5月3日とこの日の二度だけです。500形も撮っておきたかった・・・。写っている300形は2編成とも既に廃車になり、今は305-355の1編成だけが残っているようです。


江ノ島電鉄 - Wikipediaの「江ノ電が登場する作品」がえらい事になってるんだがw



鎌倉高校前駅付近の海岸?

99年5月22日、父と東京駅へ写真を撮りに行った時の500系「のぞみ」とのツーショット。父よ、何で縦構図にしたんだ〜(上3分の1はカットしておきました)


●オマケ

昭和35年国鉄三島駅です。写っているのは父と父の弟。

伊豆国立公園の案内板が見えます。