北条線紫電改事故のC12の動輪、C52のナンバープレート@交通科学博物館

4月6日で閉館の交通科学博物館の、気に留められる事が少なそうな展示物を紹介します。「紫電改事故」はタイトルを簡潔にするために独自につけた呼称です。


2014年1月8日
読売新聞夕刊
画像はドライブと鉄道より

 JR西日本交通科学博物館大阪市港区)中庭に展示されている蒸気機関車の動輪が、太平洋戦争末期、兵庫県加西市で脱線転覆した車両のものであることがわかり、同市が近く、JR西に長期貸与を申し入れる。事故は旧海軍の戦闘機「紫電改(しでんかい)」が不時着して線路を破損したのが原因で、74人が死傷する惨事だった。「動輪を現場近くに展示し、平和の尊さを後世に伝えたい」。そんな市民らの思いが、市を動かした。(今村正彦)


 動輪は小型機関車「C12形」のもので、直径1・4メートル、重さ約2・3トンの鉄製。JR西は4月に博物館を閉館し、再来年春に開館する京都鉄道博物館京都市下京区)で現在と同様、機関車D51や新幹線の動輪と一緒に展示する予定という。


 事故は1945年3月31日、国有鉄道北条線で起きた。特攻隊の訓練基地だった姫路海軍航空隊鶉野うずらの飛行場(現在の加西市鶉野町)から試験飛行中だった紫電改のエンジンが突然停止して不時着した際、機体に引っかけられたレールが破損。直後にやってきたC12が脱線転覆、住民らですし詰め状態だった客車も脱線し、紫電改の操縦士を含む12人が死亡、62人が重軽傷を負った。


 機関車は修理され、国鉄発足後の60年まで走り続けた。その後廃車となり、動輪は交通科学博物館に移送・展示されたが、惨事には触れられていない。JR西も、事故との関連を把握していなかったという。


 転機は、2011年1月に訪れた。


 飛行場跡地の住民や元特攻隊員、戦争遺族らでつくる「鶉野平和祈念の碑苑保存会」メンバーの上谷昭夫さん(75)が同博物館を訪れ、事故に遭った機関車の車両番号「C12 189」の印が動輪に刻まれているのを偶然見つけた。JR西も同一の機関車のものだと確認し、上谷さんはJR西が同博物館の閉館を発表した後の昨年10月、市に「譲渡」を打診するよう持ちかけた。

 上谷さんによると、事故は当時、軍の機密とされ、事故原因さえ公表されなかった。上谷さんは「刻印を見て『お前はここにいたのか』と、体の力が抜けそうになった。私には、この事故を伝えていく使命があると思っている」と話す。


 国鉄北条線の運行を引き継いだ同市の第3セクター「北条鉄道」は15年に開業30年を迎える。これに合わせ、動輪を事故現場近くに展示しようと計画。北条鉄道の社長を兼務する西村和平市長(58)が近く、JR西本社(大阪市)を訪れて長期貸与を申し入れる。


 西村市長は「譲渡してもらえたら最も望ましい」と希望を語り、「よく動輪を見つけていただいた。展示が実現すれば、戦争の悲惨さと平和の尊さを市民とかみしめたい」と話す。

 JR西の藤永晴俊・鉄道文化グループ担当課長は「動輪は貴重な展示品なので、譲渡するのは難しいと思う。市から要請されれば、期間を決めての貸し出しを検討したい」と話している。




以前から何気なく見ていた動輪ですが、戦時中の事故の貴重な遺物だったのでした。


読売新聞1月15日朝刊 駅ものがたり10「北条鉄道法華口駅(加西市) 戦争の悲劇伝える駅舎」より

45年3月31日、国民学校2年生だった吉岡文麿さん(77)(加東市下滝野)が乗った列車が、法華口駅を出て網引駅の手前約350メートルに差し掛かったとき、脱線、転覆。乗客11人が死亡、62人が重軽傷を負った。吉岡さんは横転して子どもが泣き叫ぶ満員列車の窓から外に逃げた。


 事故は、鶉野飛行場の紫電改が試験飛行中に不時着し、線路を壊したのが原因。吉岡さんは「地元の人たちが木造の客車の窓をノコギリで切り、乗客を救出した。駆け付けた兵隊たちは乗客を助けるより先に、戦闘機に田んぼのワラをかぶせて隠蔽を図った」と証言する。


3月31日、神戸新聞で続報が出ました。
https://www.kobe-np.co.jp/news/hokuban/201403/0006825639.shtml

事故から丸70年になる来年2〜5月、JR西日本交通科学博物館大阪市港区)に保存展示されている事故当時の蒸気機関車の動輪が加西市に貸し出されることになった。旧国鉄の前身である播州鉄道開通100年、北条鉄道開業30年の節目にも当たり、市は記念イベントを来春開催。借り受けた動輪を展示するという。

寄贈は無理でしたが、貸し出しが実現するようです。


大変貴重なC52形のナンバープレート。1947年廃車なのにどういう経緯で残ったのかの説明は無く、気になります。



2001年8月撮影
C57 148を保存している事で有名な大阪・九条の共栄興業には、C52 1のナンバープレートがあります。


その下のC53 45は梅小路蒸気機関車館実車が現存しているんですが、廃車後はペンキ書きナンバー、動態復活時は普通のナンバープレートで、交通科学館で展示中にいつしか形式入りナンバープレートに変わったようです。C54形のナンバープレートは、ここのC54 17の他に1枚(C54 6)しか現存が確認されていません。


C53 45号機の復元


2018年7月28日追記
C52 1のナンバープレートは異様な白さからレプリカではないかと思います。C53 45も廃車前の物が偶然現存するとは考えにくく、保存後に作られたプレートでしょうが、これを実車が装着した事があるのかは分かりません。