ブラック・ジャック「アリの足」舞台探訪@大阪梅田・阪急百貨店前


ブラック・ジャック連載2年目の1974年に描かれた第54話「アリの足」は、小児麻痺で足が不自由な少年・光男が広島から大阪まで歩き通す一人旅に挑戦し、それをブラック・ジャックが影ながら支えるという話です。

そのラストシーン、光男が大阪に着いた場面は、梅田の阪急百貨店前なのです。

写真は2006年4月8日撮影。かなりアングルを間違えてますが・・・。*1阪急百貨店(梅田阪急ビル)と銀色の奇妙な形の換気塔*2は変わっていません。大阪の象徴として、通天閣でも道頓堀でも大阪城でも無くこの場所を出すのは珍しいと思います。


手塚治虫MLでの金沢みやおさんのコメントを紹介。


 ビルの夜景の中に、3本の塔のようなものが立っているでしょう?
 JR大阪駅近辺に、この塔はいまでも実際に立っています。
(中略)
それにしても実にマイナーなランドマークを「大阪の風景」として選んだものです。
(中略)


 でも、通風塔を選んだ理屈はうなづけます。広島から大阪まで幹線道路沿い
 に来たとすると、国道2号線を歩いたのでしょう。2号線をつたって、JR
 大阪駅をゴールとすると、その近辺にあるそれらしいランドマークは当時は
 「通風塔」しかありません。大阪城その他まで歩くには、光男少年の足では
 さらにあと何時間もかかったことでしょう。


 たいへん現実に即して描かれた背景画だったんですね〜。


なるほど。そもそも何故、BJが歩いたのが広島〜大阪なんでしょうね?


ちなみに、国道2号線の起点は大阪市北区梅田1丁目3付近の梅田新道交差点で、ここから南へ300mほど。2号線は広島県も通っており、終点は関門トンネルを抜けた福岡県北九州市です。



2011年3月23日撮影2011年4月11日撮影、12日差替え 阪急百貨店と富国生命ビルが建てかえられた現在の姿。歩道も車道もさして広くなく、何でこんな窮屈な場所を選んだのかな。
撮影場所は新阪急ビル沿いで、大阪万博の頃の航空写真でも確認出来ます。
http://nitioku.blog49.fc2.com/blog-entry-236.html


「阪」と「京都」の字に注目。

[,left]
この通り昔は「アリの足」に描かれている通り京都〜の看板の上に阪急の社紋が付いていました。佐々木豊明「なつかしき大阪:写真でたどる大阪の歴史・魅力再発見!」より、1970年代と思われる写真。

奥に晩年の3代目大阪駅が見えます。

[,left]
1966年3月16日、阪急百貨店と換気塔の前を通る大阪市電2000形。「タイムスリップ東海道線」より。この年の7月1日の大阪駅前(阪神百貨店横)〜淀屋橋間廃止でこの線路は無くなり、1969年3月31日には阪急東口(梅田)〜都島車庫〜守口を含めた市電全線が廃止されました。


撮る場所を合わせると「阪急」の急の字が換気塔で隠される事が実証されています。手塚治虫先生はどうやって資料写真を入手したのでしょうね。自分で撮ったのか、アシスタントにでも撮りに行かせたのか。
「アリの足」の正しいアングルの写真は以下のサイトにあります。

BJ54話「アリの足」のモニュメント(金沢みやおさん)
のりみ通信 想い出の阪急百貨店←夜景。read moreを
関西今昔建築散歩2004-11-3 梅田換気塔 村野藤吾
竹林の愚人/梅田換気塔←高画質


のりみさんの森の伝説/虫マップ―手塚治虫ゆかり の地を訪ねて―によれば、阪急梅田駅旧コンコースは手塚治虫先生が終戦の日を迎えた場所なのだそうです。
大阪市街地へ行き来する場合必ず通る(中之島大阪大学医学部への通学には毎日)この場所が印象に残っているのではないか、と推測されています。


のりみ通信 消えゆく梅田阪急ビルを偲ぶ夕べ^^
↑のりみさんは「アリの足」の構図で2006年に日本画を描いています。



換気塔の右に描かれているビルが1951(昭和26)年竣工の阪急航空ビルです。右端は富国生命ビル。

写真はBJの時代より古いですが、1956(昭和31)年10月30日発行の「アサヒ写真ブック37 大阪」(朝日新聞社)より。阪急航空ビルの跡に1980(昭和55)年に建ったHEPナビオ(旧・ナビオ阪急)は、端が丸っこく面影を残しています。



1966(昭和41)年12月5日発行の「観光大阪」(大阪観光協会)より、阪神百貨店屋上からの写真。この風景は2006年初頭まで殆ど変わりませんでした。右が富国生命ビル。

2007年5月29日撮影 先の写真より上から。

2008年3月21日撮影

2008年5月2日撮影

2010年10月1日撮影
富国生命ビルは2007年11月から解体され、新ビルに建て替えられました。この定点撮影写真はもっと有るのですが割愛します。


年代を戻し、「昭和の鉄道情景1―野口昭雄写真集」より、1958(昭和33)年頃と思われる写真。富国生命ビルはまだ建っていません。右端は建て替えられる前の曽根崎警察署。

「市電が走った昭和の大阪」より。梅田換気塔(設計:村野藤吾)の竣工が1963(昭和38)年なので、その頃と思われます。
富国生命ビルの竣工は1964(昭和39)年10月の事で、1929〜2006年の77年存在した阪急百貨店とは対照的にわずか43年の命でした。

京都〜のネオンの色は末期は白と赤だけでしたが、1966年頃はこんな色でした。「観光大阪」より。


TVアニメ版第2話「アリの足」では阪口大助さんが光男を演じました。足が不自由な原因は事故に変わり、出発地は広島では無くBJ宅の近場で、ラストの大阪の風景ははっきりとは描かれていません。


ブラック・ジャックは私が最初にまともに読んだ手塚作品で、小5頃、小学校の図書室にリアルな表紙の豪華版が全巻入って読み始めました。本木雅弘主演の実写版「臓器農場行き幽霊バス」は郡山の祖母の家で見て凄く違和感を感じた覚えが。


中学の図書室には「火の鳥」「ブッダ」「アドルフに告ぐ」もありました。

オマケに、2005年2月19日、交通科学博物館図書室の帰りに大阪駅大阪環状線ホームで撮影したTVアニメ版ブラック・ジャックの広告を載せます。


どうでもいい生命(いのち)なんて、ありはしない



「アリの足」で梅田には行かなかったブラック・ジャックと、阪急百貨店とのツーショットが実現しました。


「アリの足」はチャンピオンコミックス旧版では5巻、同新装版(2004年)では4巻、手塚治虫漫画全集では2巻、豪華版と秋田文庫では1巻に収録されています。


ちなみに、松本清張原作・野村芳太郎監督の1974年公開の映画「砂の器」では、「アリの足」と同時代の大阪駅前の風景をカラーで見る事が出来ます。


きーぼー堂の関連過去記事
2010-10-09 涼宮ハルヒの憂鬱舞台の変貌(改)その5 アクティ大阪
2010-11-03 涼宮ハルヒの憂鬱舞台の変貌(改)その6 阪神百貨店屋上の風景
2010-11-12 月光仮面に見る昭和30年代の大阪(1)大阪駅前1
2010-11-19 大阪駅新乗換通路を見物&工事前と定点対比

この記事は、4月12日までに大幅に追記、写真追加を行いました。

*1:ハルヒで舞台探訪にハマる少し前の事で、阪急百貨店が解体されると聞いて本も持たずに記憶を元に「阪急百貨店の建物が全部コマに入ってたかな?」と気軽に撮った。同月末には工事の準備で覆われてしまった。

*2:換気塔だとネットで知るまでは、単なるオブジェと思っていた