いしいひさいち「バイトくん」舞台探訪 阪急下新庄駅@大阪市東淀川区

先日私がハルヒの舞台についてゲスト原稿を書いた『萌研究論集』第10号の、PDFデータでのデジタル頒布についてはこちらをご覧下さい。


「バイトくん」は「ののちゃん(旧・となりの山田くん)」「がんばれ!!タブチくん!!」のいしいひさいちさんのデビュー作。大阪市東淀川区下新庄のボロアパート「仲野荘」に住み、バイトをしながらたまに東淀川大学に通う貧乏学生キクチ、クボ、スズキらのゆるゆるな生活を描いた半自伝的四コマ漫画です。


作者関西大学在学中の1972年より「日刊アルバイト情報」で連載開始され、「プレイガイドジャーナル」(1987年廃刊)など掲載誌を変え2000年代まで続いています。確認出来る最新作は2004年ですが、まだ描かれる可能性は十分あります。


(4月18日追記:先月・・・2011年3月17日朝刊の朝日新聞朝刊「ののちゃん」は
「バイトくん」が乗っ取った形で新作が描かれています。


2003年から2009年にかけて双葉社から「ひさいち文庫」として全10巻が刊行されました。
再録を除く最新刊「大阪100円生活」(2005年)ではいしいさん自身によるバイトくんの舞台の解説「バイトくん通信」が付き、収録された漫画の初出情報として以下が書かれています。


産経新聞夕刊大阪版2002年10月5日〜2004年12月5日/アサヒコム/CLUB A&A・PNN/近代麻雀(竹書房


アサヒコム掲載分は現在も読む事が出来ます。http://www.asahi-net.or.jp/~eb9y-tmok/beit/beittop1.html


バイトくんの「聖地」(「大阪100円生活」にそう書いてある)下新庄は大学の上新庄から割と近いので行かなきゃとは思っていましたが、随分遅くなって最初に訪れたのは2010年9月です。

バイトくんには度々、仲野荘の最寄り駅の阪急千里線下新庄駅が登場します。と言っても駅名標でそれと分かるぐらいで、電車は全然似ていないのですがwそれにしてもベンチの広告が凄い。

2011年4月5日撮影 下りホームから淡路方面を見たところ。

1980年11月撮影「阪急電車駅めぐり 京都線の巻」より。いしいさんが住んでいた時代とさほど違いは無いはずの風景です。ホームに上屋が出来て駅名標が吊り下げ式になった他は、今とあまり変わっていないようです。今は亡き0系新幹線が見えます*1

冷房車が少ないというのは時代を感じさせますね。阪急では1970年製造の5200系で初めて冷房が搭載され、全車冷房化達成は1986年だったそうです。


ちなみに阪神電鉄は1983年に日本で初めて達成、JR京都・神戸線(東海道山陽本線)は1992年、大阪市営地下鉄は1995年。



4月5日撮影 下新庄駅南で交差する阪急と新幹線。京都線上新庄駅でも同じような光景が見られます。

2011年4月4日撮影 下新庄駅南口。改札は地下で、北口も南口も駅前広場なんて有りません。駅前の道路は車1台通るのがやっと。

1980年当時は地上に改札があったようで、雰囲気が違います。

2010年9月30日撮影 駅の付近には、一体いつ建てたんだという感じの建物がいくつかあります。フジカラーの看板破れてるし。


2011年4月5日撮影 バイトくん通信の写真のように、淡路寄りから。


下新庄駅は、阪急京都線・千里線連続立体交差事業で高架化が予定されていて、更に下新庄駅は新幹線の高架を避けて移転するため近い将来大きく変わってしまいます。

阪急千里線の一部は明治10(1877)年に開通した旧東海道本線の廃線跡を流用しており、下新庄駅の北の神崎川橋梁もレンガ積みの橋脚を流用している事は有名ですが、それら数々の遺構も失われそうです。淡路駅周辺では高架の橋脚が次々と建てられ、下新庄駅自体はまだですが神崎川橋梁では仮設鉄橋の工事が進んでいます。



下新庄北公園は、仲野荘と下新庄駅の間にある割と大きな公園。作中では北公園と書いてあります。これは迎えに来る工務店のトラックを待っている場面。北公園でいしいさんは夜にバイト帰りに通って酔っ払いに相撲を取ろうと絡まれたとか。


4月2日撮影


仲野荘編に続きます。


*1:0系は1999年に東海道新幹線から、2008年に山陽新幹線から引退した。