大阪中央郵便局と映画「白い巨塔」


2009年3月27日撮影
大阪駅前にある大阪中央郵便局旧局舎は1939年(昭和14年)竣工。2009年に保存を巡って騒動になった末に取り壊されてしまった東京中央郵便局と同じ吉田鉄郎の設計です。阪急百貨店が取り壊された今では、大阪駅周辺で戦前の姿を唯一保っている建物です。


昭和13年以前に外側は完成していたものの、物資不足で内部工事が遅れ竣工が遅れたそうです。同様に工事を中止していた大阪駅は、結局計画より縮小した高さのままになりました。
大阪朝日新聞 1938.9.16(昭和13)夕刊 竹筋コンクリート陶器の郵便ポスト 続々登場する新国策品(神戸大学新聞記事文庫)


見上げた時に建物を大きく見せるため、上の階になるほど窓の高さが狭まっていくのが特徴。1階は天井が高いですが、5階はどれほど低いのでしょうか。

読売新聞2011年12月22日朝刊
2009年5月に機能は大阪駅前第1ビル1階に仮移転し、旧局舎は取り壊しが予定されています。実は、大阪中央郵便局田宮二郎主演の映画「白い巨塔」のロケ地になっています。

1966年(昭和41年)10月15日公開
原作:山崎豊子
監督:山本薩夫
脚本:橋本忍


この時期に白黒というのは、手術シーンがある事に配慮しているのでしょう。中之島公園なども登場します。TSUTAYAなどで探してみて下さい。

2008年6月30日撮影
財前五郎が郷里の母親に仕送りをするため、大阪中央郵便局を訪れるという場面です。


映画開始から11分、大阪中央郵便局が映る最初のカット。上の看板には「7月1日から新郵便料金」と書かれています。1966年(昭和41年)7月1日に郵便料金が値上げされ、封書が10年から15円に、ハガキが5円から7円になりました。左端に少し見える丸っこい建物は、増築後の新阪神ビルのようです。


大阪市の北区をグルグル巡るブログ 昭和37年から平成5年までの梅田の移り変わりを航空写真で見る
↑昭和37年の写真で、大阪中央郵便局が良く写っています。




財前は、今は無い歩道橋を通り、大阪中央郵便局へ入って行きます。田宮二郎は前年公開の「悪名無敵」(DVDレンタル有り)でも勝新太郎とここの歩道橋を歩いていました。
[
2009年5月6日(当ブログ開設の15日前)の同じ場所。ここからは特記以外この日の撮影です。旧局舎最終日だったため、外観約60枚、内観約25枚を撮影しました。翌日に敷地境界線に高さ2mの仮囲いが設置される事になっていました。写真のポストは既に使えなくなっています。

窓の向こうに見えるのは大阪駅3代目駅舎。ちゃんと郵便局の中でロケをしている事が分かります。母を思う財前。畑仕事に汗を流す母に画面が変わり、ナレーションにより財前の生い立ちが語られます。
「こうして、黒川五郎は、財前五郎になった。」

財前(田宮二郎)が居たと思われる場所の窓。


外から見たところ。カメラをこの高さに持って行くのは難しそうです。
柱と柱の間を1つと数えると、この写真には写っていませんが、作中の局舎内からの歩道橋の見え方からして、財前が居たのは外から見て左から4つ目の窓では無いでしょうか。


混沌写真 2008-07-28 大阪中央郵便局
こちらに掲載されている写真の歩道橋が当時と同じ物と仮定した上での目測です。

4つ目の右は出入口になっています。

左端の男性が居る所にあるのがその窓です。ハンドルに注目。この日、2009年5月6日は移転の準備のため窓口は休業、ATMが動いているだけ。曇り→小雨なのに電気はほとんど点いておらず、薄暗かったです。


大阪中央郵便局の場面は、原作ではこう書かれています。

財前は、病院の正面玄関を出て、御堂筋へ出ると、大阪駅前の中央郵便局に向って足を運んだ。
ラッシュ・アワーの御堂筋は、淀屋橋から大阪駅に向かうサラリーマンの列が、黒い帯のような流れになって繋がっていた。財前五郎も、その人の流れの中に入り、陽のかげりかけたビルの谷間を、押し流されるようにして歩いて行った。

中央郵便局のガラス戸を押して中へ入ると、財前は、現金書留用封筒を買い求め、人気のない窓際の公衆卓子の前に起って、上衣の内ポケットから財布を取り出した。
一万円札二枚を現金書留封筒へ封入し、


岡山県和気郡伊里中
       黒川きぬ様


そう宛先を書き終えると、財前の眼に温かい光が宿った。<山崎豊子全集6 白い巨塔(一)P26>

ラッシュアワーのサラリーマンの大群は、映画では大阪駅前の歩道橋を舞台として上手く描写されています。1978年のドラマ版は未見ですが、ロケ地はどうなっているのでしょうか。
映画では宛先は和気郡備前町木生。共に現在の岡山県備前市です。ちなみに、財前五郎が住んでいるのは西宮の夙川。

引き続き、財前が居たと思われる場所の窓。このハンドルを回すと窓が一斉に開くそうです。豊郷小学校講堂の窓と同じ仕掛けです。
無言の箱 大阪中央郵便局2
開く所を見てみたいな。

窓を見上げてみる。

職員不在の珍しい光景。JR線寄りの半分は局舎内に仮設の塀が出来て入れなくなっていました。


郵便局に用があって訪れた人たちは皆、休業を知らせる貼り紙を見て驚いていたようでした。

「大阪今昔散歩」より、「昭和34年頃」*1と説明のある大阪駅前の絵葉書。阪急百貨店に付けられた色が変。

映画「白い巨塔」場面転換の際に映る大阪駅前の風景。大阪中央郵便局も少し見えます。もう大阪市電は走っていません。歩道橋、換気塔、大阪駅の向こうに朝日放送大阪タワーが出来ました。

2011年1月12日撮影
新しい富国生命ビルから。夕方で逆光気味。大阪駅と阪急百貨店は建て替えられましたが、阪神百貨店(左端)と換気塔、大阪中央郵便局は健在です。


2008年6月30日撮影
局舎内の一番奥の壁に、「世紀を超えて皆様に愛される郵便局を目指します」という文字と共に写真が展示され、大阪中央郵便局の歴史をアピールしていました。これは最後まで残っていました。


「昭和20年頃」の写真は、煙突から煙が出ているのが珍しいです。大阪駅に白地?に「大阪駅 OSAKA STATION」の屋上ネオンが設置されたのは昭和21年9月(「大阪鉄道局史」)なので、それ以降の撮影です。どのビルから撮ってるんでしょう。
昭和20年代以前に大阪中央郵便局を近くで撮った写真って全然見かけません。

2008年12月27日撮影
ヒルトンプラザから。ガラスが反射して見づらいですが。「平成12年」の写真と同じになるかと思って行ってみると、角度が違いました。

2009年3月27日撮影
梅田スカイビルから。

「大阪・京都・神戸 私鉄駅物語」より、昭和29年の阪神電鉄地下線出入口付近(1993年に野田まで地下化)。船溜りがあったなんて、今からは考えられない事ですね。大阪中央郵便局から手前(南西)には目立つ建物は何もありません。

2009年3月27日撮影
今では高層ビルがぎっしり建っています。


大阪の古建築2009-03-06 大阪中央郵便局
↑内部の写真も豊富です。


「大阪中央郵便局を守る会」について: 賛同署名のお願い
ゴリモンな日々 | 大阪中央郵便局の活用案を考えてみた
↑ゴリモンさんの活用案。いやー、このアイディアと綺麗なまとめは凄い。
浪速郵便局阿倍野橋分室+大手前看護専門学校 : レトロな建物を訪ねて
↑旧阿倍野橋ホテル。3月30日で閉鎖らしいので行っておきたい・・・。


月光仮面に見る昭和30年代の大阪(1)大阪駅前1 - きーぼー堂
中之島公園大阪テレビ横浜駅などのロケ地紹介も予定していたけど放置中。
ゴリモンな日々 | 昭和37年にタイムスリップ!
↑写真を提供しています。
ゴリモンな日々 | 大阪駅いまむかし その2


*1:阪急百貨店に「われらの皇太」という文字が見えるのを皇太子ご成婚記念と判断して昭和34年と推定している?昭和32年1月に「われらの皇太子さま」というドキュメンタリー映画が公開されていますが、それかな?「みのお観光博覧会」は昭和28年4〜6月開催のようなので、謎が深まります。