松村由利子「お嬢さん、空を飛ぶ 草創期の飛行機を巡る物語」にスチンソン嬢に関して協力しました
民家に保存の西鉄200形(福岡県筑紫野市) - きーぼー堂
↑前回の更新
松村由利子さん著「お嬢さん、空を飛ぶ 草創期の飛行機を巡る物語」(NTT出版)が2013年12月に発売されました。この本に資料提供で協力しました。著者は歌人、フリーライターで元毎日新聞記者で「与謝野晶子」などの著書がある松村由利子さん。
スチンソン嬢
「少女画報」第6年第2号(大正6年2月1日発行)より。
大正5年に来日した女性飛行士キャサリン・スティンソンが巻き起こした飛行機ブームに始まり、空をめざした女性たちの活躍、社会の偏見との戦い、飛行機を使った新聞の報道合戦、文学者たちの感想など、大正から平成までの飛行機と女性をめぐる、知られざる物語
(NTT出版の内容紹介より)
与謝野昌子を筆頭に、志賀直哉、夏目漱石、北原白秋、石川啄木らと飛行機にまつわるエピソードもあります。この辺りは松村さんならではという感じです。
2012年1月、ヤフオクで入手して間もない雑誌「歴史写真」大正6年2月号をめくっていると、「米国女流宙返り飛行家カザリン・スチンソン嬢」が来日、東京や大阪で曲芸飛行を披露したという記事が目に止まりました。
大正5年、東海道線岩淵駅(現・富士川駅)での列車追突脱線事故の写真 - きーぼー堂
↑これと同じ号です。
写真:振り袖姿のキャサリン
彼女の名を聞いた事は無く、気になって検索してみると、2011年の松村さんのWeb連載「女もすなる飛行機」(NTT出版Webマガジン)に辿り着きました。単行本はこの連載を元に大幅に加筆修正した物です*1。
http://www.nttpub.co.jp/webnttpub/contents/woman/index.html
「スチンソン嬢」ことキャサリン・スティンソンは「1916年12月から翌年5月初頭まで、途中の中国行きを挟んで5カ月ほど日本に滞在した」事、女性パイロットの来日は初めてで大人気、様々な絵葉書が発売された事、実際は25歳だったが興行主の思惑か19歳と報道されていた事などかなり詳しく書かれていて一気に引き込まれました。
松村さんがキャサリンの事を知ったのは与謝野晶子の評論集を読んでいた時で、「ス嬢の自由飛行を観て」「スチンソン嬢に」と題した文章を見つけ、文章からは詳細不明のスチンソン嬢を調べ始めたそうです。
それから松村さんはアメリカでキャサリン・スティンソンの評伝を出版した女性に連絡を取り友達になり、その女性のつてで、2010年1月にアメリカ・ニューメキシコ大学の図書館に保管されている200通のキャサリン宛てのファンレターを直接調べる事が実現。松村さんが一通ずつ目を通して行く過程が臨場感を持って描写されています。このファンレターの内容が実に興味深い。
15歳の少女「私は勇ましいことが大好きで、ことに飛行機は好きでございます。飛行機へ乗って広い空中を思うままに飛びまわったならどんなに面白いことでございましょう。どうかして一度飛行機へ乗ってみたいと思っておりますが、いかがでございましょうか。あまりにあつかましい事でございますが、ぜひ飛行機へ乗せてくださいませ。お願いでございます。」
19歳の少女「桜咲く国のおないどしの乙女があなたを深く印象してるということをご記憶くださいますならば、あたし本当に幸いだと存じます」
これほど人気があったキャサリン・スティンソンとはどんな人物だったのか、ますます気になって来ました。
松村さんのメールアドレスはどこにも書いていないものの、ツイッターをしている事が判明。早速連絡を取り、「歴史写真」を送る事になりました。
見開きのスチンソン嬢のページに、飽かず見入っております。
1ページ目の写真は、絵葉書にもなり、おなじみのものな
のですが、2ページ目の写真は初めて見るものです。
素晴らしい資料をありがとうございました。
という返事を頂きました。
そして、私も2012年2月から5月に調査を行いました。
神戸市立中央図書館でマイクロフィルムから複写した神戸新聞と神戸又新日報。神戸では西代で飛行して空に「KOBE」の字を描き、兵庫電車(現在の山陽電車)は臨時電車が出るほどの盛況だったようです。
大阪府立中央図書館で雑誌「歴史写真」、同じ建物の大阪府立国際児童文学館で雑誌「少女画報」「少女世界」「少年世界」「飛行少年」などを調べ、次々に松村さんに送りました。
「空界の女夫星 アート・スミス君 カザリン・スチンソン嬢の交驩」
「歴史写真」大正6年6月号に掲載された、握手するキャサリン・スティンソンとアート・スミスの写真。大正6年4月30日、鳴尾大運動場(鳴尾競馬場)でのスミスの飛行会にて*2。何とキャサリンは我が西宮に来ていた!(当時は武庫郡鳴尾村)
この写真は「お嬢さん、空を飛ぶ」P146に掲載されました。
ホンダの創業者、本田宗一郎は10歳の時に浜松でのアート・スミスの曲芸飛行ショーを自転車を20キロ(5里)こいで見に行き感激。16歳の時に自動車修理工場「アート商会」に入社したきっかけもその名だったそうです(創立者もアート・スミスに憧れていた)。
朝日新聞社によって鳴尾で開催された飛行大会については、阪神電鉄「輸送奉仕の五十年」(1955年)の中の「航空鳴尾の思い出」に詳しく書かれています。
神戸新聞 大正6年4月26日
中国で飛行を披露した後で再来日。神戸のオリエンタルホテルで中国での出来事を語っています。オリエンタルホテルは明治40年に移転してから昭和20年の神戸大空襲で被災するまでの3代目の建物の時代です。
オリエンタルホテル - Wikipedia
神戸新聞 大正6年5月5日
平日にオリエンタルホテルの前で悄然としている二人の少女を不審に思い取調べた所、大阪市西区川口の大阪信愛高等女学校(1932年に現在の大阪市城東区に移転、現・大阪信愛女学院)*3の女学生が飛行家になりたいと、学校を無断欠席してキャサリンに会いに来たものの、既にキャサリンは出発した後だった・・・という記事。
もし会えたらどういう展開になっていたのでしょうか。当時の女学生の熱狂ぶりが伝わって来ます。このエピソードも「お嬢さん、空を飛ぶ」で紹介して頂けました(P154)。
弟のエドワードは航空機メーカー「スティンソン・エアクラフト・カンパニー」を設立。キャサリンは肺結核のため1920年に29歳でパイロットを引退、今度は建築学を学び建築家に!1977年に86歳で亡くなりました。
横田順弥「雲の上から見た明治 ニッポン飛行機秘録」(学陽書房、1999年)には何と、
日本飛行界の黎明期を飾った飛行家たちは、男女を問わず相当数が空に散っていった。マース、ナイルス、スミス、(中略)美人飛行家として騒がれたスチンソン、ロー・・・・・・。(P196)
とキャサリンが事故死したように書かれてしまっています。この本、キャサリンの事も扱っているんですが・・・。
現在の日本ではキャサリンの知名度は低く、詳しい書籍も存在しなかったようです。近年では航空ファン2012年2月号の「航空史を彩った女性飛行家たち」(田村俊夫)でアメリア・イアハートらと共に写真付きで紹介されていました。
「お嬢さん、空を飛ぶ」では最も初期に同乗飛行体験をした新聞記者の磯村春子、恩田和子、草創期の女性パイロットの南地よね、兵頭精、木部シゲノ、朴敬元、北村兼子、及位ヤヱらが紹介されています。職業パイロットになれる一等操縦士の資格は取れず二等まで、 新聞の悪意に満ちたゴシップ記事で引退を余儀なくされるなど、大正から昭和10年代は女性にとっては想像以上に苦しい時代だったようです。
10代の時に戦争で飛行学校に通う事が出来なくなったものの、結婚して母親になった後の昭和30年代に夢を果たした横山(旧姓:久岡)秀子の人生には感銘を受けました。
出版を機に、彼女たちの存在がもっと知られて欲しいものです。
キャサリン・スティンソンの貴重な映像
1976年のNHKの連続テレビ小説「雲のじゅうたん」の主人公・小野間真琴(浅茅陽子)は兵頭精、及位ヤヱら複数の草創期の女性パイロットをモデルにしているようです。
参考:あきた(通巻172号)1976年9月1日発行 「秋田の真琴たち」佐藤正(秋田魅新報編集委員)
物語が始まるのは大正7年12月。真琴は前年の大正6年にアート・スミスの飛行を地元秋田で見て感激し、飛行家になるという夢を持ちました。更に大正8年に来日したルース・ローの写真を新聞で見て憧れ、女性でも飛行家になれると思いを強くします。
飛行学校で初めて飛行機に乗った真琴。埼玉・桶川飛行場でのロケ風景です。
この「利根号」は「航空界の権威、木村秀政氏の設計による"オリジナル機"」との事。
オープニングと昭和10年代に真琴が飛行学校の教官になってから登場する飛行機は、グラフNHK1976年8月号などによると和歌山県の白浜飛行場から持って来た本物の戦時中の複葉機ボーイングA75・ステアマンだそうです。