【募集終了】ウルトラセブンのロケ地、神戸市灘区でひし美ゆり子さんトークショー

※4月1日、定員の100名に達しました。

神戸市灘区の歴史や魅力について学ぶ市民講座「灘大学」は4月11日午後5時、同区岩屋中町4丁目、 BBプラザホールで開く「ひし美ゆり子さんトークショー」の参加者を募集している。

 特撮テレビ番組「ウルトラセブン」でウルトラ警備隊の「アンヌ隊員」を演じた女優のひし美ゆり子さん、「アマギ隊員」の俳優の古谷敏さんが出演。灘区以外からも応募できる。


 ひし美さんは昭和40年代、同番組のロケで灘区の摩耶埠頭などを訪れた。また2012年3月には、かつての撮影地を巡る「神戸ロケ地巡礼ツアー」を行い、関西の特撮ファンらを喜ばせた。

 3年ぶりのイベントには、『ウルトラマンになった男』の著書でも知られる古谷さんとともに、ロケ当時の思い出などを語る。

 希望者は4月3日までにメールで申し込む。受講料2千円は会場で支払う。

http://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/201503/0007846450.shtml
メールアドレスなどについては記事参照。


灘区がロケ地になったというのは、ウルトラセブン第14・15話「ウルトラ警備隊西へ」前後編の事です。


アンヌ隊員、西へ―「ウルトラセブン神戸ロケ地巡礼ツアー&トークショー」レポート /聖地巡礼:ひょうご・神戸|いまもえ.jp
ウルトラセブン「神戸ロケ地探訪」(前編)/ウルトラマン:ひょうご・神戸|いまもえ.jp
ウルトラセブン神戸・芦屋 聖地巡礼マップ/ウルトラマン:ひょうご・神戸|いまもえ.jp

ハルヒ・有希ちゃんの舞台の尼崎・三和電器を取材!歴史とナショナル坊や

兵庫県尼崎市、三和本通商店街の三和電器。アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」で大森電器店のモデルとして2006年の1期では「朝比奈ミクルの冒険Episode00」「サムデイインザレイン」(キョンがストーブを受け取る)、2009年の2期では「涼宮ハルヒの溜息I・II」に登場し、来月から放送の「長門有希ちゃんの消失」第1話にも登場予定です。


長門有希ちゃんの消失 番宣CM舞台探訪@甲陽園駅前・尼崎 - きーぼー堂
↑商店街で新しく分かった舞台を追加しました。




溜息IIより 2008年3月16日(2期放送前)、2015年3月14日撮影
2008年10月の松下電器の社名・ブランドのパナソニックへの統一の影響で、「LIGHTING HOUSE」の看板が消え、ナショナル坊やの立つ高さも変わっています。


溜息IIより 2008年3月16日撮影
長門有希ちゃんの消失では、古い状態のまま登場するようです。換気扇がいくつか見えますが、現在は置いていません。


最初は店頭の写真を撮るのみでしたが、2011年以来交流を持ち、度々お邪魔しています。店内を撮らせて頂き、古いアルバムも見せて頂きました。これまで未公開でしたが、掲載許可を頂いたので、一挙掲載します。



2011年11月14日撮影
ちゃうけさん制作・寄贈のハルヒマップ。普段は奥にしまってあります。
「涼宮ハルヒの驚愕」発売記念 珈琲屋ドリーム&ジュンク堂西宮店 舞台コラボレーション企画の経緯 - サークル おかみかいこう
涼宮ハルヒの驚愕」のジュンク堂書店西宮店での購入特典でした。
右上奥に見えるのは松下幸之助の書です。

サムデイインザレインより、「あの可愛い娘さんたちは元気かな?」「一人が元気がありすぎて困ってますよ」と会話を交わす大森さんとキョン。溜息Iより、大森さんにビデオカメラについて交渉中のハルヒ

2011年6月11日撮影
実際の店主、正確には三和電器株式会社 社長の原口利明さんです。




2011年6月11日撮影
京アニのスタッフは店内からも写真を撮っていた模様。1期では三和電器とは分かりにくい描き方でしたが、2期ではかなり詳細になりました。

ナショナル坊やは、昭和30年代に生まれた松下電器のキャラクター。こちら、かなりの年代物です。(有)とありますが、現在は株式会社です。

2012年3月18日撮影
店内に小さいのが2体ありましたが、猫が飛び乗ったりするのでこの後壊れてしまったそうです。

1930年(昭和5年)、鹿児島で創業したお店の写真で、1935年(昭和10年)頃撮影?尼崎に移ったのは昭和10年頃らしいですが。

右上の看板に「原口 デンキ RADIO HARAGUCHI」の文字。窓の奥に見えるナショナル国民ソケット(昭和10年7月発売)。

誠電社は鹿児島に現在同名の会社がありますが、昭和60年創業なので関係無さそうです。

1955年(昭和30年)頃?お店の場所は現在と同じ。自転車の荷台に「強力放声装置」。「NHK指定ラジオ店」の看板があり、テレビよりもラジオがメインの時代です。

拡声装置(マイク)貸付の広告が残っていました。

マツダランプマツダ芸能祭。藤田まことが俳優の前に司会者をしていた頃。1956年(昭和31年)です*1

松下電器昭和39年度新入社員の原口さん。

同じ頃?ナショナル坊やを発見しました。

1966年(昭和41年)頃?90年代のアルバムに唐突に入っていて、原口さんに聞いても分かりません。SONYのロゴの変遷を参考に推定しました。


時代は飛んで1993年(平成5年)8月2日、貴布禰神社だんじり祭りの日。店にJリーグの写真が8枚ほど貼られています。この時既に、ナショナル坊やが看板に乗っています。

「おまつり特価 Jリーグ アルカリ電池」というのは、Jリーグのキャラクターが印刷された乾電池のようです。松下電器(現パナソニック)はガンバ大阪のスポンサー。
乾電池の画像集 出張所 Panasonic Jリーグアルカリ乾電池 LR6(PJSP)


浴衣の女の子や、他の店も写っています。「よしくわ」という店は今は有りません。

97年の原口さん。左下のコラ画像みたいになってる顔は、ナショナル坊やの後継で、1994年から2010年3月まで使用された「パナ坊」です。作者は絵本作家の五味太郎

2011年11月14日撮影
アルバムを一緒に見るチコくん。

2012年6月10日撮影
この時はイスに座ってたら、膝の上に10分ほど乗られて動けないという、かつて無い体験をしましたw*2


2012年3月18日、ハルヒツアーで訪れた際は閉店間際でしたが、「早く来てくれたらお茶でも出すのに」と盛大に明かりをつけて歓迎して頂けました。感謝です。


神戸新聞 いまもえ.jpの当時のレポ
きーぼーさんと行く!涼宮ハルヒツアー・後編/涼宮ハルヒシリーズ:ひょうご・神戸|いまもえ.jp


【動画あり】神戸の中学校に涼宮ハルヒと長門有希が! - きーぼー堂
季刊雑誌「大阪春秋」西宮特集でハルヒ紹介・きーぼー堂も登場 - きーぼー堂
写真集「西宮市の昭和」2015年4月下旬に発売予定 - きーぼー堂

*1:尼崎市立文化会館が1955年12月竣工という事と、曜日から特定

*2:チコくんはその後亡くなったそうです。

長門有希ちゃんの消失 番宣CM舞台探訪@甲陽園駅前・尼崎

長門有希ちゃんの消失の映像が3月11日に初公開されました。番宣CM(TOKYO MX版)です。作画随分変わりましたね。背景は京アニの設定を受け継いでいる事が確認出来ました。


http://www.yukichan-anime.com/special/150311tvcm.html


●阪急甲陽園駅前


3月12日撮影
おなじみの駅前。暗くなり過ぎちゃいました。駅舎とマンホールの位置関係などが妙です。


尼崎市・三和本通商店街


3月12日撮影
出番があるとは思っていなかった、大森電器こと三和電器。1巻第3話でクリスマスパーティーの買い物で商店街に行く場面ですね。原作の背景は尼崎を元にしていません。
 
2008年3月16日撮影
「溜息I」(2009年8月放送)ではナショナル坊やはそっくりでしたが、今回アレンジされています。「LIGHTING HOUSE」の看板があったのは2008年頃までなのに描かれているんですが、新規にロケハンはしてあるのか、気になります。


きーぼー堂 涼宮ハルヒの憂鬱 第20話「涼宮ハルヒの溜息Ⅰ」の舞台




3月14日撮影、22日追加
レンタサイクルの稲妻さんの発見により、三和電器の近くのお菓子屋さんの可能性が高まりました。左は「よしや」右は「まるしげ」です。左の柱の前に積まれた箱まで再現している?

赤地に白い線はこれかな?

三和電器の斜め向かいという至近距離です。

鶴屋さん・みくるカット関連は3月22日追加




3月12日撮影
朝比奈ミクルの冒険で登場したモンセ分店薬局には、外から見える位置にフィギュアが健在でした。
尼崎観光案内所にハルヒコーナー設置&登場した薬局も積極アピール - きーぼー堂


今後西宮だけで無く、尼崎も盛り上がりそうですね。
以上2枚は京アニ版の背景を参考に描いているだけかも知れないので、有希ちゃん独自の背景の登場に期待です。鶴屋さんとみくるのカットは、出番的には商店街だと思いますが、どこだか分かりませんでした。


ちなみに、3月22日の第1話上映会はチケットが取れませんでした・・・。


水間鉄道水間観音駅と「いまいち萌えない娘」ヘッドマーク電車 - きーぼー堂
【動画あり】神戸の中学校に涼宮ハルヒと長門有希が! - きーぼー堂
甲子園口駅の木造駅舎を偲ぶ・北口編【JR阪神間最後の木造駅舎】 - きーぼー堂

水間鉄道水間観音駅と「いまいち萌えない娘」ヘッドマーク電車

3月1日から10日まで、水間鉄道ではいまいち萌えない娘のヘッドマークを付けて運転しています。3月1日の水間鉄道えきなかマルシェでの、いま萌えデザインの1日フリー乗車券などの記念グッズ物販には残念ながら行けませんでした。


9日にヘッドマークを見に行って来ました。


まさか、電車のヘッドマークになる時代が来るとはw
超簡潔に説明すると、いまいち萌えない娘とは、神戸新聞の求人広告のために2011年に生まれ、萌えないはずが今ではすっかり萌えるようになってしまったキャラです。


貝塚駅から乗った電車も、途中ですれ違った電車もハズレで、終着の水間観音駅に着いてしまいました。乗って来た電車、次に来た電車の発車を見送り、待つ事35分。今日はもう見られないかと思ったら、車庫から出て来ました!雨の中、スマホで何枚も撮る男性が2人いました。


水間観音駅の、1926年(大正15年)開業当時からの駅舎です。2009年に水間駅から改称しています。今回は、2012年12月以来、2年3ヶ月ぶり2回目の訪問となりました。

駅のはずれには、501形553(元南海1201形)が保存されています。



公式ツイッターより。3月1日のイベントでは、物販だけでは無く公式でコスプレイヤー(真羽きらさん)も登場したようです。


水間鉄道にいまいち萌えない娘がやってきた3/1まとめhttp://togetter.com/li/790521?page=1



行きの電車で運転台を眺めていると・・・ん?いまもえグッズかな?


シーキューブwwwww

C3‐シーキューブ〈5〉 (電撃文庫)

C3‐シーキューブ〈5〉 (電撃文庫)

2008年にアニメ化されました。これならもしかすると、運転士さんもいまいち萌えない娘が好きかも知れません。

ヘッドマークが実現出来たのは、大らかな水間鉄道ならではです。

ブレてしまいましたが、貝塚駅でいまもえヘッドマーク付き電車をお辞儀して見送る、女性の駅員さんです。偶然にも、ベンチ、柱など、水間鉄道の駅はいまもえカラーの水色に溢れています。


ラジオ関西「いまいち萌えないラジオ」主題歌。去年の神戸ぽっぷカルチャーフェスティバルで撮った動画です。


神戸ぽぷカル3RD ダディ・いまいち萌えないラジオSPイベント編 - きーぼー堂
“いまいち萌えない娘”と行く涼宮ハルヒの聖地巡礼ツアー(前編) - きーぼー堂
いまいち萌えない娘、武庫川で萌えないごみを拾うの巻 - きーぼー堂

甲子園口駅の木造駅舎を偲ぶ・南口編【微妙に残った駅舎・阪鶴鉄道のレール】

甲子園口駅の木造駅舎を偲ぶ・北口編【JR阪神間最後の木造駅舎】の続きです。今回は南口について。



2010年5月1日撮影
1978年3月改築の南口駅舎。

2010年5月1日撮影
こちらは、2013年に解体された北口駅舎。

1952年(昭和27年)4月発行の「瓦木村誌」より。ギリギリでも無いだろうから発行1、2年前の撮影でしょう。

1953年(昭和28年)年5月17日、甲子園口駅での祖母。阪神甲子園駅ではありません。駅舎の形を見比べると、南口と分かります。

1964年(昭和39年)、南口駅舎と、北口へ抜ける歩行者用トンネルの工事。2014年6月、西宮市役所の第13回歴史資料写真展にて。

駅舎を拡大。南口駅舎(駅本屋)の写真は本に載る事なども多いですが、北口駅舎は古い写真を見る機会が全然無いですね。

11年前と看板が同じです。駅は旧字体「驛」の模様。

1934年(昭和9年)、開業直前の南口です。何もありません。これには驚きました。

微かに駅舎が見えます。

1950年(昭和25年)頃。「目で見る西宮の100年」より。

1970年(昭和45年)頃?「西宮の今昔」より*1。同書では1980年頃とされていますが、1978年に新駅舎が完成したので明らかに誤りです。
先の写真と比べると、西(左)側が増築されています。

南口駅舎の西側には、瓦屋根の部分が。

以上2枚 2010年5月1日撮影
これは旧駅舎の一部のようです。ただし、開業時では無く、昭和30年代頃の増築分です。

日本国有鉄道停車場一覧 昭和60年6月1日現在」(日本交通公社)より。78年に旧駅舎の一部を残して改築した後、85年頃以降に更にテナント部分が増築されたようです。

2010年5月1日撮影
横から見ると、境目が一目瞭然。

1975年と2014年の航空写真を見比べると、旧駅舎部分は形が変わっていない事が何となく分かります。

2015年2月25日撮影
南口の旧駅舎部分は2014年に解体されました。そこに4階建ての駅ビルが2015年6月に完成予定で、かなり雰囲気が変わりそうです。

南口の甲子園口本通商店街は、よみうりテレビの番組「大阪ほんわかテレビ」とのコラボで2013年12月8日「ほんわか商店街」に改名。いつまで続けるんでしょう。2010年、クドわふたーの背景に使われました。
クドわふたーの商店街と、甲子園口駅今昔 - きーぼー堂



207系(2010年5月2日撮影)・ホーム(2010年6月16日撮影)
上屋の柱には、古レールが多く使われています。

日華事変、太平洋戦争と、この駅からも沢山の兵士さんが出征しました。
駅の広場で軍歌を歌い万歳三唱をして、プラットホームの階段を上って行かれました。
ホームへは親族の方だけが、見送る人たちは下から仰ぎ見るようにして旗を振りました。
もう帰って来れないかも知れない若い兵士さんの、ふり返ってじっと眺めた目に涙が溢れていたのを今も忘れられません。
(宮っ子・1993年8月 JR甲子園口駅今昔より)

駅舎はすっかり変わりましたが、ホームは昔の面影を残していて、ここから出征兵士が旅立ったのだなあ・・・と思う事が出来ます。

参考画像:灘駅で、出征する教師を見送る神戸一中の生徒たち。神戸市今昔写真集(樹林舎)より。


以上3枚 2010年6月16日撮影
柱に使われているレールは、「CARNEGIE 1896 IIIIIIIII HANKAKU」と刻印のある、阪鶴鉄道が1897年(明治30年)の開業用にアメリカのカーネギー社から輸入した貴重な物ばかりです。Iの数は製造月を現し、1896年9月製。ILLINOIS STEELの阪鶴鉄道用も少数の柱に使用。


内訳についてはTAKATAKATAKAさんのブログ「我が人生の垢」をご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/ttkkssmm/s/%B9%C3%BB%D2%B1%E0%B8%FD%B1%D8


阪鶴鉄道福知山線の前身で、官設鉄道に乗り入れて大阪と舞鶴を結んでいました。

2015年2月25日撮影 今回久々に観察してみると、ペンキが塗り直されてどれも刻印が全然読めなくなってしまっていました。ともかく119年前のレールで、阪鶴鉄道甲子園口駅の歴史の生き証人です。


2015年2月25日撮影
奥が大阪方面(東)。ホームの構造が違うのが延長部分、中央が新設されたエレベーター。


エスカレーターもエレベーターも無く、バリアフリーとは無縁の駅でした。96年には既に、西宮市議会で問題提起されています。盛り土の上にホームが造られているため掘削が必要で、エレベーター設置は容易ではありません。JRの費用負担が過大、工事の際の利用者の経路の安全性、列車の運行上の問題もあり、長年進展しませんでした。


通路から西へ階段を昇ってホーム東端へ到達する構造で、通路の真上にはホームが無いため、ホームを2つとも東(大阪方)へ延長する事になりました。*2


このため、設置費用は盛り土構造でない通常の駅なら2基で3億円のところ、当駅は2基で17億円(2005年当時の見込み)に!


2005年の住民2万人の署名の国土交通大臣への提出、陳情などを経て、西宮市、国、県の補助額を引き上げる事で決着。2007年に着工、工事中は2番のりば(折り返し線)の使用を停止し、2009年3月に完成。ホームを80m延長、そこへの通路、階段も追加されました。


これにより、西宮市内でエレベーター未設置の駅は阪神甲子園駅だけとなりましたが、2013年に新設されました。


参考
宮っ子2007年3・4月 JR甲子園口駅エレベータ設置工事着工へ!
宮っ子2005年3月 JR甲子園口駅エレベーター設置に向けての陳情 北側国土交通大臣へ直訴
宮っ子2009年7・8月 地域住民の思いが結実 JR甲子園口駅にエレベーター
甲子園口駅エレベーター供用開始:UZ's View:So-netブログ
西宮市議会 平成15年6月

*1:交通科学博物館提供写真。鉄道ジャーナル社「日本の駅」(1970年10月発行)の写真は季節は違ってもほぼ同時期に見えます。

*2:ホーム幅が狭いので、既存のホームを掘削しようとすれば、階段からの出入りの妨げになります。

甲子園口駅の木造駅舎を偲ぶ・北口編【JR阪神間最後の木造駅舎】

長崎県最古とされた駅舎、早岐駅・少女漫画「アオハライド」にも登場 - きーぼー堂
【動画あり】神戸の中学校に涼宮ハルヒと長門有希が! - きーぼー堂
大江戸捜査網サントラLPの初CD化に向けて予約受付中!今度こそ実現するか? - きーぼー堂



2010年6月16日撮影

東海道線甲子園口駅の北口の、1934年(昭和9年)開業以来の木造駅舎です。


摂津本山駅が2012年に解体されてからは、JRの阪神間では唯一の木造駅舎となりました。西宮市内では、木造駅舎は他には阪急甲陽線甲陽園駅だけです。


甲子園口駅は1934年(昭和9年)7月20日、吹田〜須磨間の電化による電車の運転開始に合わせて開業しました。甲子園球場にちなんだ駅名で、元々地名だったわけではありません。当時は兵庫県武庫郡瓦木村下新田、現在は西宮市甲子園口です。


西宮駅(旧・西ノ宮)と尼崎駅(旧・神崎)の間(7.7km)には現在、西から甲子園口駅(西宮市)、立花駅(尼崎市)がありますが、1877年(明治7年)の大阪〜神戸開業以来、この間には駅がありませんでした。1932年(昭和7年)、当時の瓦木村が鉄道省に請願し、村の経常歳出の2年分にあたる莫大な経費を村が負担する事で誕生したのが当駅です。


鉄道が通ってから57年後の事でした。同時に塚本駅立花駅六甲道駅元町駅も開業しています。

独特の装飾がお気に入りでした。瓦木村誌によると、近隣では武庫郡大庄村(武庫川鉄橋東堤防・実現せず、現尼崎市)、川辺郡立花村(→立花駅)も駅設置を請願していました。瓦木村は甲子園球場(2km先)と甲子園ホテルが近くにある事、周囲が住宅地に適する事が請願に有利と考えていたようです。


北口改札、天井。

ホームから。



駅舎の横に、こんな小屋がありました。

阪神タクシー待合所・・・と書いてあるようです。一体いつから建っているのでしょう。

待合所といっても、客用では無く、バスを誘導するおじさんの詰め所のようでした。

中に見えた古い看板と、小屋の手前にあった、西宮市の市章、六芒星が付いた古い消火栓。以上2010年5月1・2日撮影。



2008年3月4日撮影 エレベーター設置のためのホーム延長前です。詳しくは南口編で。


2013年5月28日撮影
これが北口駅舎を撮った最後の写真になるとは思いませんでした。この時点でタクシー待合所は既に無く、横のキヨスクは閉店しています。

2014年1月12日撮影
2013年、北口駅舎は突然解体されました。灘駅摂津本山駅とは違って、事前に新聞報道などは有りませんでした。取り壊しの知らせを聞いた後、初めて見に行ったらこの状態でショック!2013年10月20日から閉鎖、年内に解体されたようです。


仮の北改札。

2014年5月2日撮影
新駅舎は、四角い面白みのない外観になりました。

2015年2月25日撮影
今は、誘導員のおじさんはヒサシの下にパイプイスを置いて休んでいるようです(赤い三角コーンのある場所)。

1968年(昭和43年)、北口ロータリーと駅舎。西宮市情報公開課所蔵。中央の7階建て「ホーキビル」は、阪神大震災で崩壊しました。

2010年9月1日撮影

2014年5月2日撮影
TSUTAYA甲子園口店は2013年7月に閉店。跡地にサークルKが隣から移り、2014年1月30日に開店。この写真では空き店舗のサークルK跡には、ダイコクドラッグが2014年6月30日開店。


阪神大震災当時の甲子園口駅
http://www.nihonkai.com/onokoho/EQ1.htm



2013年4月26日撮影
甲子園口駅前に到着する阪急バス。この時は甲子園口駅みどりの窓口に5月4日の「あけぼの」下りを予約しに行って、案外あっさりB寝台が取れました。


大阪春秋No.157の酒井一光氏の記事「西宮近代建築案内」では当初は「上甲子園駅」だったように書かれていますが、誤りです。甲子園口とは関係の無い、阪神甲子園線の駅名です。この号↓
季刊雑誌「大阪春秋」西宮特集でハルヒ紹介・きーぼー堂も登場 - きーぼー堂


ちなみに今回の写真が2010年5月に集中しているのは、この取材のためです。
クドわふたーの商店街と、甲子園口駅今昔 - きーぼー堂


南口編に続きます。


甲子園口駅設置の経緯や歴史について
宮っ子1981年9月 甲子園口駅の誕生!!
宮っ子1993年7月 JR甲子園口駅開業60周年記念特集(1) (2) 
宮っ子1993年8月「ここは発展する こうときなはれ」 JR甲子園口駅今昔


↓1968年の北口・南口駅舎とホームなど
http://www.nihonkai.com/onokoho/28stn-hyogo-hanshinkan.html
↓1968〜1974年甲子園口地区 写真が非常に充実しています。
http://www.nihonkai.com/onokoho/N01.html


以前紹介した樹林舎の「西宮市の昭和」が市内の一部書店で予約受付中です。うちのアルバムから提供した写真も載ります!2月12日に出た「明石市の昭和」は予約、注文が多く、何と発売4日後に店頭分を除き在庫が完売したようです。

写真集「西宮市の昭和」2015年4月下旬に発売予定 - きーぼー堂
樹林舎 西宮市の昭和

【動画あり】神戸の中学校に涼宮ハルヒと長門有希が!


神戸市のある中学校に涼宮ハルヒ長門有希がいると聞き、見に行って来ました。

ホームに不思議な階段のある駅で下車。しばらく歩きます。
次は、某テレビ番組風にしてみた動画をご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=GUfRYp32DoI
2月7日撮影





上手いです。中学の校門前に普通にあるとは、凄い風景ですね!
まさか西宮でもなく神戸にハルヒが現れるとはw
敢えて校名は書きませんので、気になる方は調べてみて下さい。



公式サイトで、しっかり紹介されていました。美術部の力作だそうです。ハルヒファンの生徒がいるんですね。先生とどういうやり取りがあって実現したのか、気になりますw


開校以来・・・って、これから何年設置されるのでしょうかw
ちなみに、元絵はDVD7巻通常版です。