甲子園口駅の木造駅舎を偲ぶ・南口編【微妙に残った駅舎・阪鶴鉄道のレール】

甲子園口駅の木造駅舎を偲ぶ・北口編【JR阪神間最後の木造駅舎】の続きです。今回は南口について。



2010年5月1日撮影
1978年3月改築の南口駅舎。

2010年5月1日撮影
こちらは、2013年に解体された北口駅舎。

1952年(昭和27年)4月発行の「瓦木村誌」より。ギリギリでも無いだろうから発行1、2年前の撮影でしょう。

1953年(昭和28年)年5月17日、甲子園口駅での祖母。阪神甲子園駅ではありません。駅舎の形を見比べると、南口と分かります。

1964年(昭和39年)、南口駅舎と、北口へ抜ける歩行者用トンネルの工事。2014年6月、西宮市役所の第13回歴史資料写真展にて。

駅舎を拡大。南口駅舎(駅本屋)の写真は本に載る事なども多いですが、北口駅舎は古い写真を見る機会が全然無いですね。

11年前と看板が同じです。駅は旧字体「驛」の模様。

1934年(昭和9年)、開業直前の南口です。何もありません。これには驚きました。

微かに駅舎が見えます。

1950年(昭和25年)頃。「目で見る西宮の100年」より。

1970年(昭和45年)頃?「西宮の今昔」より*1。同書では1980年頃とされていますが、1978年に新駅舎が完成したので明らかに誤りです。
先の写真と比べると、西(左)側が増築されています。

南口駅舎の西側には、瓦屋根の部分が。

以上2枚 2010年5月1日撮影
これは旧駅舎の一部のようです。ただし、開業時では無く、昭和30年代頃の増築分です。

日本国有鉄道停車場一覧 昭和60年6月1日現在」(日本交通公社)より。78年に旧駅舎の一部を残して改築した後、85年頃以降に更にテナント部分が増築されたようです。

2010年5月1日撮影
横から見ると、境目が一目瞭然。

1975年と2014年の航空写真を見比べると、旧駅舎部分は形が変わっていない事が何となく分かります。

2015年2月25日撮影
南口の旧駅舎部分は2014年に解体されました。そこに4階建ての駅ビルが2015年6月に完成予定で、かなり雰囲気が変わりそうです。

南口の甲子園口本通商店街は、よみうりテレビの番組「大阪ほんわかテレビ」とのコラボで2013年12月8日「ほんわか商店街」に改名。いつまで続けるんでしょう。2010年、クドわふたーの背景に使われました。
クドわふたーの商店街と、甲子園口駅今昔 - きーぼー堂



207系(2010年5月2日撮影)・ホーム(2010年6月16日撮影)
上屋の柱には、古レールが多く使われています。

日華事変、太平洋戦争と、この駅からも沢山の兵士さんが出征しました。
駅の広場で軍歌を歌い万歳三唱をして、プラットホームの階段を上って行かれました。
ホームへは親族の方だけが、見送る人たちは下から仰ぎ見るようにして旗を振りました。
もう帰って来れないかも知れない若い兵士さんの、ふり返ってじっと眺めた目に涙が溢れていたのを今も忘れられません。
(宮っ子・1993年8月 JR甲子園口駅今昔より)

駅舎はすっかり変わりましたが、ホームは昔の面影を残していて、ここから出征兵士が旅立ったのだなあ・・・と思う事が出来ます。

参考画像:灘駅で、出征する教師を見送る神戸一中の生徒たち。神戸市今昔写真集(樹林舎)より。


以上3枚 2010年6月16日撮影
柱に使われているレールは、「CARNEGIE 1896 IIIIIIIII HANKAKU」と刻印のある、阪鶴鉄道が1897年(明治30年)の開業用にアメリカのカーネギー社から輸入した貴重な物ばかりです。Iの数は製造月を現し、1896年9月製。ILLINOIS STEELの阪鶴鉄道用も少数の柱に使用。


内訳についてはTAKATAKATAKAさんのブログ「我が人生の垢」をご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/ttkkssmm/s/%B9%C3%BB%D2%B1%E0%B8%FD%B1%D8


阪鶴鉄道福知山線の前身で、官設鉄道に乗り入れて大阪と舞鶴を結んでいました。

2015年2月25日撮影 今回久々に観察してみると、ペンキが塗り直されてどれも刻印が全然読めなくなってしまっていました。ともかく119年前のレールで、阪鶴鉄道甲子園口駅の歴史の生き証人です。


2015年2月25日撮影
奥が大阪方面(東)。ホームの構造が違うのが延長部分、中央が新設されたエレベーター。


エスカレーターもエレベーターも無く、バリアフリーとは無縁の駅でした。96年には既に、西宮市議会で問題提起されています。盛り土の上にホームが造られているため掘削が必要で、エレベーター設置は容易ではありません。JRの費用負担が過大、工事の際の利用者の経路の安全性、列車の運行上の問題もあり、長年進展しませんでした。


通路から西へ階段を昇ってホーム東端へ到達する構造で、通路の真上にはホームが無いため、ホームを2つとも東(大阪方)へ延長する事になりました。*2


このため、設置費用は盛り土構造でない通常の駅なら2基で3億円のところ、当駅は2基で17億円(2005年当時の見込み)に!


2005年の住民2万人の署名の国土交通大臣への提出、陳情などを経て、西宮市、国、県の補助額を引き上げる事で決着。2007年に着工、工事中は2番のりば(折り返し線)の使用を停止し、2009年3月に完成。ホームを80m延長、そこへの通路、階段も追加されました。


これにより、西宮市内でエレベーター未設置の駅は阪神甲子園駅だけとなりましたが、2013年に新設されました。


参考
宮っ子2007年3・4月 JR甲子園口駅エレベータ設置工事着工へ!
宮っ子2005年3月 JR甲子園口駅エレベーター設置に向けての陳情 北側国土交通大臣へ直訴
宮っ子2009年7・8月 地域住民の思いが結実 JR甲子園口駅にエレベーター
甲子園口駅エレベーター供用開始:UZ's View:So-netブログ
西宮市議会 平成15年6月

*1:交通科学博物館提供写真。鉄道ジャーナル社「日本の駅」(1970年10月発行)の写真は季節は違ってもほぼ同時期に見えます。

*2:ホーム幅が狭いので、既存のホームを掘削しようとすれば、階段からの出入りの妨げになります。