【珍事】阪急電車が阪神線を走った頃、阪急尼崎線の計画が発表されていた


新京阪さん撮影 阪神御影駅を通過する阪急5136F


2014年7月13日未明、阪急5100系5136Fが阪神線を回送で走り、どこで知ったのか阪神岩屋・深江・御影・芦屋・武庫川・尼崎駅などにファンが駆け付けて撮影、ツイッターなどにアップして話題となりました。

阪神芦屋駅での走行シーン


阪急西宮車庫(西宮北口駅)から阪急神戸線を走り、新開地(神戸高速線)で折り返して阪神本線に入り、阪神尼崎車庫(尼崎駅)に到着したようです。


その後、8両編成のうち4両が阪神尼崎駅ホームから見える位置に留置されました。
まだ有るか7月16日に訪れると、何と13日のままの状態でした!


昔ながらの青胴車(5001形5025F)、今や貴重な阪神最古参・武庫川線の赤胴車(7861形7966F)と並ぶまるでファンサービスのような嬉しい光景です。過去を通じて、地上区間では絶対撮れない並びです。


阪急がやや奥に停車しているためこの他のホームからは見えず、撮影が難しいのが困りもの。しかも午前順光なのに今は午後。ひっきりなしにファンが訪れ、女性は1人だけ見ました。


電車に乗り運転席の後ろから撮ると、ちょっとはマシなアングルになりました。


実は阪急電車阪神線を走るのは今回が初めてではありません。


朝日新聞大阪本社版
すれ違う阪神電車の運転士らは「えらいこっちゃ阪急が走りよる、どうしたこっちゃろ」と驚いたそうな。

今津いまむかし物語-西宮流 兵庫県西宮市の地域情報 -観光、グルメ、美容、ショッピング、暮らし、子育て、ペット-【コミュニティ】
↑もっと詳しく知りたい方はこちら。各新聞の記事が紹介されています。


65年前の1949年(昭和24年)12月13日、兵庫県西宮市にて阪急今津線阪神国道駅から電車がブレーキが効かず下り坂を暴走、今津駅の車止めを突破して阪神線に突入、隣の久寿川駅のホームに衝突してやっと停車するという事故がありました。


幸いにも他の電車との衝突は無かったため、今や「阪急殴り込み事件」と笑い話のような扱いになっています。今回ホームに衝突しなかったのは、阪神の大型化車により当時よりホームの幅が削られているから。


毎日新聞阪神版 昭和24年12月18日
現在は阪急・阪神双方の今津駅が高架駅になり、線路は接続されていません。


阪急関連の文献ではごく少数、西宮市関連の文献では知る限り全く触れられず、一般には殆ど知られていません。何しろ、発生が1946年と書いている文献が近年まで信じられていたほど資料がありませんでした。*1


例:レイル・ストーリー13 - 殴り込み事件っていったい何?


事故の半月前、1949年(昭和24年)11月29日の毎日新聞阪神版にこんな記事が出ているのを偶然発見しました。


待望の阪急→尼崎乗入れ
塚口から高架線で南北線実現へ


尼崎市の東西の交通は阪神本線、同国道線*2東海道線に加えて阪急バスがあるので極めて便利であるが北へ延びて伊丹市に接する南北線は一日数回の福知山港線と阪急バスがあるのみで不便であり、塚口方面の人々が市中央部へ出かける時はわざわざ大阪まで迂回している実情なので今度市民待望の阪急の乗入れが具体化し阪急側と市との間に順調な交渉が続けられている。


阪急の構想は阪急神戸線塚口駅から真直ぐに南へのび中央商店街を通じて阪神尼崎駅に連絡するもので、約四キロのこの新線は全部高架線であり交渉がまとまれば工事は急速に進むものと期待されている。

何と、阪急塚口阪神尼崎を結ぶ阪急の新路線が計画されていたようです。
地元民のBlendyさんからコメントを頂きました。

尼崎は南北問題って結構あって、夜遅くになるとバスが無いから、深夜になると大阪経由して移動した方が楽って時もあるんよ。おいらなんかは、園田、武庫之荘辺りに居て、終バス逃してしまった時は、一旦阪急で梅田まで出て、そっから阪神で尼崎まで向かうからね。

尼崎市バスが加わったものの、尼崎の南北問題は昭和20年代から全然進展していないようです。終バスは21時半〜22時頃。もし実現していたら所要時間的にも交通費的にもありがたい路線になったでしょう。


「中央商店街」を通るというのが解せない所で、尼崎中央商店街(涼宮ハルヒの舞台)は尼崎駅の西へ延びているため遠回りになります。塚口中央商店街は塚口駅の北側なので恐らく無関係。


詳しい構想の内容が気になります。
阪神の社史や市史に登場する、昭和初期に計画された宝塚尼崎電鉄、通称 尼宝(あまほう)電鉄(阪神の子会社)と違って、この計画に触れている文献は全くありません。


暴走事故の影響で計画が中止になったってのは深読みしすぎ?


今回の阪急の阪神尼崎乗り入れは、未成線となったこの阪神尼崎線(自分でつけた仮称)を思い起こさせました。


レイル・ストーリー13 - 陸橋は残った
18日1時代追記:阪急尼崎線は大正12年に阪急西宮循環線の一部として既に構想されていたようです】



閑話休題

阪急っぽい茶色1色になった近鉄5800系DH02編成と、阪急5100系との出会い。
これは大軌開業当時のデボ1形風の復刻塗装です。


何とか撮れた阪急・阪神・山陽・近鉄の4社勢揃い!
車庫にはえちぜん鉄道譲渡用の元JR東海飯田線119系(台車無し)が居るというカオスな状態です。


さて、8両編成の阪急5136Fのうち片割れの4両はどこへ行ったのかというと・・・。


電車に乗って大物〜尼崎間の阪神尼崎車庫を覗いてみました。


拡大。


もっと拡大。いた!!!
肉眼では全く気付きませんでしたw


http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201407/0007152422.shtml

今朝の神戸新聞によると、噂通り、能勢電鉄に譲渡するためワンマン仕様に改造するという事です。今までは同様の改造は阪急の子会社、アルナ工機で行われていました。



オマケ・阪神尼崎車庫の電動貨車202

*1:2006年から2012年までの間、今津駅のウィキペディア記事では1946年12月13日の出来事とされていました。

*2:国道線の「線」が抜けている