阪急甲陽線の古枕木利用の柵が撤去中〜江戸川乱歩「D坂の殺人事件」と枕木〜


1月から、阪急甲陽線苦楽園口〜甲陽園間の古枕木を利用した柵を撤去し、新しい柵を作る工事が行われています。

夙川を越えてから水道路踏切までの約500メートル。
古い写真を見ると1960年代から存在し、かつては甲陽園駅まで続いていたようです。阪急沿線では恐らくここでしか見られない規模で、味があって好きだったので残念です。


今津線東園駅近くの段ノ上踏切、神戸線神崎川第一踏切付近はかなり短いけれども多分まだあるはず。
踏切(阪急電車・今津線)
踏切(阪急電車・神戸線1)

2月16日撮影、17日追加
昔は今津線西宮北口門戸厄神駅付近や伊丹線にもあったようです。

1974年(昭和49年) テスラさん撮影

2011年5月14日 きーぼー撮影
低いから電車を撮りやすいという利点も。
ハルヒの舞台の阪急甲陽線水道路踏切の昭和49年頃 きーぼー堂2011-5-18



もうかなりボロボロでした。

2月16日撮影、17日追加

2月16日撮影、17日追加
固定に使われている犬釘(本来は線路に固定するための物)

犬釘が3本落ちているのを見つけました。倒れている枕木も。

手前が代わりに新しく建てられた柵。2月9日時点で、水道路踏切に近い部分はまだ残っています。




実は「涼宮ハルヒの消失」で甲陽線の柵が微妙に映っています。



1962年(昭和37年)の祖母らの写真。阪急夙川駅西側の神戸線の線路です。
【ベティ・オハラ写真展記念】秘蔵写真昭和30年代の夙川 - きーぼー堂


古枕木の柵と言えば、江戸川乱歩がそれを見て「D坂の殺人事件」(大正13年)の二人の目撃証言が食い違うトリックを思いついたという裏話があります。明智小五郎が初めて登場する作品で、短編なのですぐ読めます。


乱歩が京阪電鉄守口駅(1971年に守口市駅に改称)から帰宅していた時の事。線路沿いの道を歩いていると、枕木の柵が目に入り、次々に枕木と枕木の間から向こう側の風景が現れてはまた消える、というのが繰り返される・・・そこから彼はひらめきました。

「新潮日本文学アルバム41 江戸川乱歩」より。
写真が残されていました。これだと簡単に出入り出来て柵としての意味はあまり無いですね。

2010年1月6日撮影
現在はこの付近は高架化され、全く面影はありません。Kanonの聖地として一部で有名。


トリックを思いついた件の詳細は、乱歩自身が書いた「探偵小説四十年」を参照。まあ犯人特定の手がかりとしては重要でも無いんですけど。


「私」が明智小五郎に言うセリフ。

君は覚えているでしょう。二人の学生が犯人らしい男の着物の色については、まるで違った申し立てをしたことをね。一人は黒だと言い、一人は白だと言うのです。いくら人間の眼が不確かだと言って、正反対の黒と白とを間違えるのは変じゃないですか。
(中略)


では、なぜそれが一人には真っ白に見え、もう一人には真っ黒に見えたかと言いますと、彼らは障子の格子のすき間から見たのですから、ちょうどその瞬間、一人の眼が格子のすき間と着物の白地の部分と一致して見える位置にあり、もう一人の眼が黒地の部分と一致して見える位置にあったんです。これは珍しい偶然かも知れませんが、決して不可能ではない。

犯人は縦じま(棒縞)の着物を着ていたと。
不可能では無いって、相当苦しい気がしますがw


「D坂の殺人事件」は、ドラマ・特捜最前線の傑作「子供の消えた十字路」の元ネタらしき挿話が登場する事でも興味深いです。
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当時乱歩が住んでいた家は2010年に解体されてしまったため、現在大阪府守口市には乱歩に関して見るべき所はありません。後に東京で住んだ家は立教大学の所有となって残っていて、時々公開もされているようです。
名張人外境ブログ わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/246 江戸川乱歩寓居跡 /大阪
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110723/20110723027.html