忍者ハットリくん ニンニンふるさと大作戦の巻(1983)舞台探訪@伊賀上野


藤子不二雄A先生の忍者ハットリくんは、1981年から1987年までアニメ版が放送され、映画が2作作られています。勿体無い事に、どちらもDVD化されていません。


今回は、1983年3月12日公開の映画2作目「忍者ハットリくん ニンニンふるさと大作戦の巻」と、同タイトルの原作(初出:月刊コロコロコミック83年1〜4月号)*1の舞台探訪レポートをお送りします。



ハットリくんの伊賀への里帰りに、ケン一達も同行するというストーリーです。同時上映は「ドラえもん のび太の海底鬼岩城」「パーマン バードマンがやってきた」でした。

1作目は殆どがテレビシリーズを繋いだような構成でしたが、本作はハットリくんには珍しい超シリアスな展開で、メカマロという強敵が登場します。演じるは野沢雅子さん!


原作は展開がかなり駆け足で、ハットリくんとメカマロの戦いは2ページで終わってしまいます。それにしても、アニメオリジナルキャラのツバメはアニメと原作では全然顔違うね。映画ラストのツバメの父親に驚いたのは私だけでは無いはずw


ハットリくん達は新幹線で名古屋まで行き、関西本線165系風の電車に乗り換え、伊賀上野駅から三重交通バスに乗ります。

亀山−名古屋間は1982年5月に電化され、当初は113系湘南色(通称:かぼちゃ)が運行されていましたが、1985年3月より大垣電車区所属の165系3両編成に置き換えられ、そのままJR東海に継承されました。

(Naohikoの日々雑感 関西本線を走った165系より)


だそうで、2年時代を先取りしていた事になってしまいますねw
165系の写真は撮った事がありません。


山を飛ーびー谷を越えー、伊賀上野へやって来たー♪*2

「日本の駅 写真でみる国鉄駅舎のすべて」 (1972年)より。駅の看板は大きさも作中と同じですね。


三重県伊賀市(2004年までは上野市)、関西本線伊賀上野駅の駅舎と駅前広場。この当時のアニメとしては再現度が高いです。奥は今は駐輪場ですが、実際に昔は作中のように建物があったのかは分かりません。写真右端の看板は関西本線開通100年などと書いてあり、1997年設置のもの。
駅舎はかつては関西鉄道の社紋が入った瓦が使われていた事から、明治30〜40年の建築と思われます。


アップで。

このお土産屋さんの自販機の上には忍者が潜んでいました。


駅舎のすぐ前にバス停は無いし、ポストの位置が違いますが、左に見える石碑が似ているのが分かりますか?

「月ぞしるへこなたへ入せ旅の宿 芭蕉
それは松尾芭蕉の句碑でした。伊賀上野芭蕉のふるさとです。



作中のバスは塗装といい、「ミ」の字型の社紋といい、三重交通そのものです。この二つの特徴は今のバスも変わっていません。写真は伊賀上野駅前にて。


バスが発車する場面。左手前(画面外)のバス停から発車して駅舎を横切って行くバスを撮れば同じ位置に出来るのですが、撮るのが早過ぎました。


1972年頃の写真を見ると作中と同じ位置にバス停があり、1990年の写真(鉄道ピクトリアル1990年12月号)でも同じです。


藤子不二雄ファンサークルマガジン NeoUtopia第39号(2004年12月発行)に、ハットリくんの立ち上げから関わっていた、シンエイ動画のプロデューサーだった加藤良雄氏(取材当時、シンエイ動画常務)のインタビューが掲載されています。

孫子先生にまた映画をやるんですけど、どうしたらいいでしょうとお話したら、忍者村を舞台にしたら面白くなるんじゃないかというアイデアをいただいて、スタッフ総出で伊賀上野の忍者屋敷にもロケハンに行きました。桜井正明さんにプロットを起こしてもらって、これなら広がって面白くなるんじゃないって、いろいろ先生に見て頂いて脚本にしました。


後半のアクションシーンは特に気に入っています。スピード感のある絵になって、盛り上がってね。立ち回りをごまかしてないんです。アクションシーンはいくらでも手を抜いてカットしても分からないんですけど、作画監督の桜井美知代*3さん、原画マン、動画マンの方にがんばってもらった記憶があります。


メカマロは映画を作っている最中に生まれました。デザインはもちろん先生です。


伊賀上野にちゃんとロケハンに行っていた事が分かります。それにしても、メカマロとは結局何者だったのか。


原作では、関西本線はキハ58風の気動車に乗り、伊賀上野駅近鉄伊賀線上野市駅へ。
近鉄伊賀線は2007年10月に伊賀鉄道に転換しています。



原作に合わせて、伊賀上野駅から伊賀鉄道上野市駅へ。忍者姿の子供が次々と乗って来て、さすが忍者の里、という感じでしたね。この忍者電車は松本零士先生のデザインです。ちょっと怖いw

それほど古くは見えませんが、大正11年開業当時の竣工で木造だそうです。



作中で描かれている電車は、調べると1940年代に製造された近鉄5000系(旧モ6311形)のようで、1977年から1986年の廃車まで伊賀線で使われていました。保存車は有りません。写真は関西急行鉄道モ6311形電車 - Wikipediaからで、1985年撮影。

私が上野市駅の同じ位置(ホーム端)から撮影した、昔の塗装に戻った860系。


1コマだけ外観が登場する伊賀上野城


伊賀流忍者博物館(1998年に「伊賀流忍者屋敷」から名称変更)。木の形もそっくり。


忍者屋敷は博物館のための新築だろうと思っていましたが、何と江戸時代に建てられたものを市内から1964年に移築したのだそうです。忍者屋敷の数々の仕掛けをくの一の格好をした女性学芸員さんが実演付きで解説してくれて、実に面白かったです。


登場するのは1コマだけで、ハットリくん達が入ったという描写が無いのが惜しい。

博物館内の売店では忍たまNARUTOばかりで意外にもハットリくんを扱っていなかったのですが、入場券売り場でシンゾウを発見しました!何かしんベエがダブってるんだけどw

水ぐもは、本当は水の上では無く泥の上を歩くための物だそうです。

ハットリくんの忍び装束が青いのはそういうわけだったんだねえ。原作旧作では黒でした。

手裏剣の色々(クリックで拡大)


ちなみに、↑こんな形の卍型手裏剣*4樋口尚文著「月光仮面を創った男たち」によれば、テレビ時代劇「隠密剣士」(1962〜1965年)のプロデューサー西村俊一が同作の小道具として考案して以後の番組が真似した物で、実際に忍者が使っていたわけでは無いようです。


取材は4月8日に行いました。入手可能な原作の収録単行本は下に載せている藤子不二雄Aランド「新忍者ハットリくん」4巻、文庫版「新忍者ハットリくん」2巻です。


参考
ハットリくんのふるさと・伊賀探訪 - はなバルーンblog
伊賀へ行ってきた - 藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記


良くうちの記事を紹介してくれている西尾西男さんの「ぬるヲタが斬る」が最近続けてドラえもんネタを書いていたので、触発されて掲載した感じですw
ドラえもんは一応は東京都練馬区が舞台という設定ですが、原作もアニメも基本的には架空の街並みを描いています。


1998年公開の「帰ってきたドラえもん」の舞台は大阪だった!? - ぬるヲタが斬る -
1989年公開「ミニドラSOS」で描かれた近未来の2011年と現実の2011年が一致したところ - ぬるヲタが斬る -

*1:映画の制作が先行しているので、真の意味で映画の原作では無いですが。

*2:ちなみに伊賀上野駅に来る前に南海千早口駅橋本駅、高野口駅、隅田駅、五条駅に行っていました。

*3:元は桜井美代と表記しています。誤植?

*4:画像はフリーイラスト素材・手裏剣(リアルシルエット) | CUTIE PHOTOSHOP・キューティーフォトショップアートより転載。