ハルヒの舞台の阪急甲陽線水道路踏切の昭和49年頃
阪急甲陽園駅から南へ徒歩数分の水道路踏切と言えば「涼宮ハルヒの憂鬱V」でハルヒがキョンに「あんたさ、自分がこの地球でどれほどちっぽけな存在なのか、自覚したことある?」と独白をし出す場所としておなじみです。通過する電車の速度がめちゃくちゃ速いのがツッコミ所。
神奈井総社@rNote - 涼宮ハルヒの憂鬱舞台の検証 その12
テスラさんから許可を頂いたので、その37年ほど前の姿をお目にかけましょう。
テスラさんが昭和49年頃に610系667を先頭に夙川方面に向かって水道路踏切を通過していく様子を連続で4枚撮影しています。最初の1枚以外はネット初公開となります。
※当初昭和48年頃としていましたが、C61 2がSL白鷺号を牽引した写真がネガの直前にあるそうで、それは昭和49年5月12日と思われるので49年に変更しました。
撮影したテスラさんのブログの記事はこちらです。
ぼんやりした放浪者2011-1-6 37年ほど前の涼宮ハルヒの巡礼・・・・なのか!
テスラさんは当時中学生で、今は立派なハルヒファンですw
現在の写真は都合連続では無いですが、私が撮影しました。
2011年5月14日撮影 電車とバス以外の違いと言えば、家とガードレールが出来たぐらい。
2006年6月19日撮影
この辺りは全然変わりませんね〜。木がかなり成長しています。
610系は宝塚線用に1953〜56年に木造車の機器を流用して製造され、1977年に阪急から引退、能勢電鉄に譲渡されて1992年まで活躍しました。
上の写真は夙川駅を出たばかりで、右奥に夙川駅があります。
阪神バスも古い。バスに詳しくないので車種とかは分かりませんが。
5月22日追記:日野・ブルーリボン (wiki)だそうです。
当時の阪神バスは現在とはカラーリングが違い、現在のものは冷房車が導入されてから採用されたそうです。少し後の年式ですが、以下でカラー写真が見られます。
http://busmania.exblog.jp/12858472/
[TokudenIM] Hanshin "53MC"
2005年2月頃きーぼー撮影 行先幕からLEDに移行直前の阪神バス。学校帰りに広田神社バス停で。
昭和36年7月、水害のため仮駅で営業する甲陽園駅。「阪急ステーション」より。
カーブの具合からして、水道路踏切の辺りです。昭和36年水害(昭和36年6月24〜27日)の際と思われますが、甲陽園駅の仮駅については他に資料が見つかりません。
昭和20年代末 生地健三さん撮影、朝風さん提供
2010年9月に阪急甲陽線で大正・昭和の面影を探す - きーぼー堂で掲載した写真で、これも水道路踏切です。
水道路踏切の「水道路」は「すいどうろ」では無く「すいどうみち」と読みます。
大正時代に「神戸水道」という上水道が建設されました。西宮の上ヶ原浄水場から神戸市兵庫区の奥平野浄水場までは水道管を埋設した上を管理し易いように道路にしてあり、地元住民からも水道路と呼ばれました。
日常的にこの道路を指して水道路と呼ぶ事は無くなりましたが、
芦屋市の鉄管山(愛称)、阪急バス水道橋バス停
神戸市東灘区の神戸市バス御影水道路バス停、岡本水道路バス停、
阪急神戸線中野水道東踏切、中野水道東小路踏切
神戸市灘区の阪急王子公園駅の近くの水道筋商店街
などの名前の由来となって残っています。水道路踏切の辺りでは、踏切の下をくぐって夙川学院中・高の方へ向かっているようです。
現在も水道として使われており、2006年8月16日に大池公園の南東の急坂の下で起きた送水管が破裂して市道が陥没した事故*1の現場もまさに水道路です。
神戸新聞ニュース:阪神/2006.08.18/西宮の送水管破裂、復旧着手 陥没道路仮復旧はあす
8月17日の神戸新聞では「破裂したのは、西宮市仁川百合野町の上ケ原浄水場から神戸市内の工場など計66施設に工業用水を給水している鉄製の水道管。1930年に地下約2メートルに埋設されたという。」と書かれました。
事故の二日後、2006年8月18日撮影。良く見えませんが、通行止の奥がその現場です。この急坂を上がればすぐ水道路踏切に着きます。道路が一直線でジェットコースターのような急傾斜にしてあるのは、気にせず最短距離で水道管を敷いたためで、仁川辺りでは急すぎて階段にしてある場所もあるそうです。
シンクスタジオコラム
谷崎潤一郎の「細雪」でも、「この三人の姉妹が、たまたま天気の好い日などに、土地の人が水道路と呼んでいる、阪急の線路に並行した山側の路を、余所行きの衣裳を着飾って連れ立って歩いて行く姿は、さすがに人の目を惹かずにはいなかったので、」・・・という具合に水道路の名が登場しています。
阪急芦屋川駅の北側の商店街の道が、細雪で描写されている水道路です。この水道路に、細雪の櫛田医院のモデルとなった重信医院が戦前のままの建物で現存しています。
下記リンク先に掲載されている大正15年の地図でも明記されています。
ハルヒと細雪の舞台は、水道路で繋がっていました。
参考
谷崎潤一郎の「細雪」を歩く 芦屋編
メモ - そのうち歩いてみたい神戸水道路・水道筋 - 後天性無気力症候群
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