涼宮ハルヒの憂鬱舞台の変貌(改)その6 キョンと古泉が居た阪神百貨店屋上

涼宮ハルヒの憂鬱舞台の変貌(改)その5 アクティ大阪
↑前回は閉鎖空間の入口、アクティ大阪と阪神百貨店の間の横断歩道の風景について。


今回は「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅴ」の閉鎖空間でキョンと古泉が上った阪神百貨店屋上からの風景についてです。

2006年7月30日撮影 左の建物が阪神百貨店
前回で紹介した通り、キョンと古泉はアクティ大阪(大阪駅)と阪神百貨店の間の横断歩道から閉鎖空間に入り、阪神百貨店の屋上に上がります。




2006年4月9日撮影、ゴリモンさん提供

右手前が富国生命ビル(作中では看板がコフク生命)、右奥の細長いのがOSビル、左手前が昭和初期築の阪急百貨店(梅田阪急ビル)、白い高層ビルが阪急グランドビル、その横からのぞいているのがHEPの観覧車、左上端が阪急ターミナルビル阪神百貨店屋上庭園から。


2006年4月28日撮影、ゴリモンさん提供

左端はヨドバシカメラ大阪駅。阪急百貨店が実物より横幅が小さく描かれています。阪神百貨店屋上螺旋階段から。観覧車の見え方やビルの位置に矛盾があるので、作中の街並みは阪神百貨店屋上の離れた2つの場所からの景色をつないだ物のようです。


大阪の街並みを観察し続けるブログ「ゴリモンな日々」を運営されているゴリモンさんより、阪急百貨店解体前の写真の転載許可を頂きました。ありがとうございます。上掲写真2枚の出典はこちらです。
屋上庭園がオープン(2006/4/11)
キレてますよ(2006/4/29)

2006年4月撮影 動画から繋ぎ合わせた物で、実際よりビルの曲面がきつく見えます。恥ずかしながら旧梅田阪急ビルをまともに撮った写真はほとんど無くて・・・

2006年6月26日柚耶さん撮影
4月下旬から5月末にかけて阪急百貨店に覆いが付けられ、放映直後には既に大部分が見えなくなっていました。



2枚とも2007年3月11日撮影 そして更地に。2006年7月に取り壊しが始まって2007年1月頃には完了し、それから一年間はあまり変化がありませんでした。残骸になった阪急百貨店を見て「神人が阪急百貨店を壊した」なんて冗談を言ったハルヒファンも居るのでは。

2008年3月16日撮影 新築工事。右の富国生命ビルが解体中です。

2010年10月1日撮影 今では両ビルとも完成し、圧迫感があります。残っていた阪急百貨店の昭和30年代の増築部分(左端)は2009年末から2010年初めにかけて解体されました。


2007年3月11日撮影

2008年5月7日撮影
神人の登場シーンで印象的なHEP FIVEの観覧車は阪急百貨店の新築工事で2008年5月に隠れました。遊具のパトカーは2007年3月から2008年3月の間に向きが変わったようです。


2006年8月24日撮影 神人と観覧車のどアップ!観覧車の角度からするとこのカットはキョン・古泉の視点(=写真)では無く空中からの視点?写真は敢えて右に傾けています。この場面は角度を変えて「涼宮ハルヒの退屈」での回想で登場し、そちらの方が観覧車のゴンドラが近くに描かれています。
http://linernotes.cocolog-nifty.com/linernotes/2006/06/13_v_8345.html

2008年5月7日撮影 まだ僅かに観覧車が見えていた頃。右下はポートピア梅田。


2007年3月11日撮影
右が神人が最初に動いた時に潰されたOSビル。中央が神人の大きさの比較対象となり、神人が殴って破壊していた32階建ての阪急グランドビル(原作にも同ビルらしい記述あり)。 作中では実物より高く描かれています。

2010年10月1日撮影
OSビルも阪急グランドビルも、新築された阪急百貨店のために全く見えなくなりました。
 

矢印がキョンと古泉が居た場所 アクティ大阪から撮影
阪神百貨店自体も2006年9月に建て替え計画が決定し、2012年春以降に着工*1されるようです。そうなると当然この屋上も無くなる事になります。


産経新聞2008年9月23日「阪神百貨店」建て替え 2段階で 22年秋、新阪急ビル先行(ウェブ魚拓)


<2014/2/10記事タイトルを「涼宮ハルヒの憂鬱舞台の変貌(改)その6 阪神百貨店屋上の風景」から変更>

*1:2008年時点の発表内容なので変更があるかも