北口駅前公園の時計台と看板(後編)

森田季節「ともだち同盟」舞台探訪@JR関西本線大河原駅に蒸機時代の写真など追加しました。


前編からの続きです。



音子さん撮影
前編からの続き。2009年7月27日15時43分、時計台と看板は公園からトラックで運び出されました。


この2枚きーぼー撮影


この2枚音子さん撮影

それから30分後、Nさん(仮)はそのトラックが某屑鉄屋に到着する所を目撃。

更に許可を得て写真を撮らせてもらっていたのです。


落ち葉が溜まっています。

実測はしていませんが、たらわさんは「時計は90cm角の外側に直径15cmか20cmの円柱を直線6m程 時計の上の三角が2m位の高さで良さそうです 結局全高8m???」と推測しています。

脚側から。脚の内部は空洞。

撤去時に何故か切開された中枢部分。下に敷かれているのはレールみたいです。

音子さん撮影 どの部分かは撤去直前の写真を見れば良く分かります。


SEIKO製と判明。

デジタル表示があったのは意外でした。サマータイムも設定出来ます。

Nさんによれば、屑鉄屋のおっちゃんは「看板は作るのに2、300万かかり、時計台の製造、設置には4、500万かかるのではないか、勿体無い」というような事を話していたそうです。しばらくは置いておくが、両方ともスクラップにするという事でした。


まだ公園に居る時に発見直後のNさんからのメールを受け、一緒に居たKさん(少し前に知り合った、「ボクのセカイをまもるヒト」に関連する町在住の方)に伝えました。翌日の7月28日夕方に現地を訪問してみると・・・

何であんな所にwwwwwwwwwww

Nさん撮影 最初見た時脚の部分が下に貫通しているのかと思いましたが、上部の装飾がある所までだけ残したようです。約束をしていたKさんとメールを受けたNさんが自転車を飛ばしてすぐに登場。

終業の17時が近付き、昨日もNさんと話したという屑鉄屋の方にお話を伺う事が出来ました。来客に電話の時「屋根に時計がある会社ですー」とか目印にするとか。どうやらNさんの熱心さが通じてこうなったようです。

ちなみにここでの写真は撮影順に並べていません。

良い人たちで、快く対応してくれました。業者の方の1人はハルヒの原作者が北高出身という事まで何故か知っていましたw


時計が今も動き続けている事を知らせるために、場所を明かさなければブログに載せて良いという許可も頂きました。老朽化しているものの(そのせいか1分ほどずれている面がある)、壊れるまで使い続けるそうです。
これで当分は安泰です。本当は誰でも見られる公共の場所が良かったのですが、贅沢は言えませんね。残っただけ幸運です。とても面白い形で活用される事になりました。

左には閉店した尼崎市の某百貨店の屋上遊園地にあったという汽車が。閉店した時期からすると5年以上置いてある事になります。

看板は埋もれていましたが見る事が出来ました。9月にはまだありましたが、当初の予定通りスクラップにされたようでその後見当たらなくなりました。


この場所を知るのはNさん、私、Kさんと写真を見せただけで特定した某氏の4人だけのはずです。ほとぼりの冷めた一年後に時計台が第二の人生をおくっている事を公開しようと決め、あっという間に一年が経ちこの記事を書きました。デリケートな問題なので敢えて公園名を出さずに書いています。


こうして、時計台は場所を変えて背を縮めながらも今も時を刻み続けています。
1993年の製造・公園設置から震災も経験して17年、この地に来てから1年が経ちました。


続報→ハルヒファンの思いに応え、SOS団集合場所・北口駅前公園の時計塔が復活決定!【動画あり】 - きーぼー堂(2014年3月18日)



【記事タイトルは「時計台と看板」でしたが、時計の復活に伴い2014年3月19日 「北口駅前公園の」を追加】