森田季節「ともだち同盟」舞台探訪@JR関西本線大河原駅

田舎のさびれた無人駅を訪ねて何もせずに帰ってくること、それが千里の趣味だった。駅の写真を安物のデジカメで撮影したら、後はひたすら時間を無駄に過ごす。(中略)そんな何もしない贅沢に、同じクラスだった大神弥刀はボディガードとして各地へ連れまわされていた。(中略)


春休みの日曜日、二人は電車を乗り継いで関西本線の大河原(おおかわら)という駅にやってきた。大げさな路線名の割には一日の利用者が百人程度という閑散とした駅だ。

森田季節「ともだち同盟」(2010年6月、角川書店)より

8月19日、森田季節さんの「ともだち同盟」のプロローグに登場するJR関西本線大河原駅に行ってきました。

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所在地の京都府相楽郡南山城村京都府で唯一の村だそうな。地図を「写真」に切り替えると山だらけ。

森田季節作品の舞台探訪記事は、MF文庫Jで出版されたデビュー作「ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート」を既に掲載しています。
森田季節「ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート」舞台探訪@神戸市垂水区

関西本線は王寺までは良く利用していますが、奈良以東を乗車したのは初めてです。

千里と弥刀と同じく青春18きっぷ(1回分をハブさんから購入)を利用しました。ともだち同盟のこの場面は春だけど。

大阪から乗って来た221系大和路快速から、加茂駅で亀山行きのキハ120形に乗り換えます。千里と弥刀は神戸市在住だからこのルートで来ているはず。関西本線JR難波から奈良、亀山を経由して名古屋とを結ぶ路線ですが、今や運行は加茂と亀山を境界に三分割されています。目指す大河原は加茂から2駅目、所要時間は16分。

車内。笠置までは立ち客が居ました。加茂を出てから木津川沿いの渓谷を走り、美しい車窓風景を楽しめました。そこの写真は有りませんが。

ここから大河原駅構内

右カーブを曲がると駅の全景が見えて、

列車はホームに滑り込みました。大阪駅から一時間半です。

駅構内は不自然なほどに広い。この路線が昔は立派な幹線だったせいだ。のぼりとくだりの向かい合っている線路の間には撤去された線路の跡が二本。今も現役のホームも十両の車両を止めてもお釣りが来そうなほど長い。今、ここに来る一両や二両のディーゼルカーは都会に迷いこんだ子供みたいに居心地悪そうにしている。


確かにホームは幅が狭い割にやたらと長い。
関西本線の前身の関西鉄道は、大阪〜名古屋の連絡を巡って明治30年代には官鉄(東海道本線)と争い運賃値下げ合戦、食堂車の連結などをしました。国有化後も東海道本線近鉄と張り合った立派な幹線でした。
しかし関西本線は昭和31年の東海道線全線電化完成、昭和34年の近鉄ノンストップ特急運転開始、昭和39年の東海道新幹線の開業など他路線のスピードアップの影響を受けて衰退して行きました。

降りた亀山方面行きホームにあった待合所。側面はレンガ、裏は板張り、柱と梁はレール・・・

アメリカのテネシー社の1923年製のレールばかりが使われていました。写真(左90度回転)は一番はっきり読めた刻印ですが、末尾しか有りません。
OH TENNESSEE 6040 ASCE 2 1923 工
画像1 画像2 参考:古レールのページ/北陸〜近畿地域のJRで見た古レール

その駅で降りたのは千里と弥刀だけだった。千里はゆっくりと加速してホームから離れていく列車をズームしたカメラで撮影すると、屋根のない跨線橋にあがって駅を眺める。



私の他に二人降りました。

ズームで撮影してみた。


実に開放的な跨線橋

東、柘植・亀山方面を望む。

西、加茂方面を望む。山と川に挟まれた駅です。
右端の柘植方面行きホームの長さに注目。山にぶつかるまで続いています。左に今は使われていない行き止まりの貨物側線と未舗装の貨物積み込み用ホームがあります。大河原駅の貨物営業は1970年廃止*1関西本線亀山〜木津間を走る貨物列車も1987年のJR化で廃止されました*2


「撤去された線路の跡が二本」と森田季節さんは書いていますが、1973年に撮影されたD51 885と急行「かすが」の写真を見ると撤去されたのは二線では無く一線と分かります。

1971年11月21日に撮影された、大河原駅を発車するD51 703牽引の貨物列車。「機関車留置線」VOL 48  D51特集より転載(御自由にお使いくださいとの事なので)

弥刀は待合室のベンチに座って、千里が戻ってくるのを待っていた。時刻表は一時間の帯ごとに一本の電車が昼間のうちはきれいに並んでいる。逆方向の電車も二十分後まで来ない。

さっきは「列車」と書いていたのに今度は「電車」・・・?

ホームから見た駅舎の待合室。

弥刀が座ったベンチはこれなのでしょう。

確かに一時間一本が並んでいて、亀山行きが発車してから加茂行きが発車するまでは約20分の間隔があります。時刻表はこの待合室にしか有りません。ちなみに、赤枠内は第二土曜日は線路保守のため運休するので注意。

これが駅舎。ホームの上に建っています。関西本線は趣のある木造駅舎が多いだけにがっかり。あまり古くは見えませんが、「日本の駅」(1972年、鉄道ジャーナル社)によれば1954(昭和29)年3月の築だそうです。
数年前には駅舎側面の「駅」の字が取れて「大河原」になっていたようですが、今は何故か全部無くなっています。

入口の上には木製で手書きの駅名看板が掛かっていました(字が薄くなって見えないけど)。これはいつの物なんでしょう。

駅舎の土台となっている貨物用ホームの赤レンガが歴史を感じさせます。イギリス積みでした。

駅前には国道163号線があり、崖の下に木津川が流れています。

大きな河原があるから大河原か。

駅から見える欄干の無い橋(潜没橋、増水時には水没する)は対岸の恋志谷神社(後醍醐天皇の側女の悲恋の伝説がある)にちなみ恋路橋と言うそうです。昭和20年3月にこの橋が架けられるまでは渡し舟が北大河原・南大河原の集落を結んでいたとか。
参考:JA京都やましろ やましろ探訪 恋とロマンの里 恋志谷神社と恋路橋


反対方向の大河原大橋の付近には1919(大正8)年に建設された大河原発電所があります。木津川を利用した水力発電所で、資材の輸送に大河原駅が利用されました。現在も現役で、レンガ造りの発電所本館などが土木学会から重要な土木構造物2000選に選ばれたそうです。
参考:KINIAS - 近畿産業考古学会 近畿の産業遺産 大河原発電所

跨線橋を下りると、千里は深呼吸を一回してから、ごろんとホームに横になった。両手を広げた大の字の姿で。(中略)千里は晴れた日に閑散とした田舎の駅に行くと、たいていごろんと横になる。それが千里いわく、バカンスなのだ。


跨線橋を下りると」となると、駅舎に近いこの辺りかな?

絵的にはこの跨線橋の上り口とは反対側(幅約2.7m)が良いかと。この記事の最初の写真もここ。どうせ誰も見てないのでちょっと千里の真似をしようとしてみたけど、ホームが熱すぎますw

「細かいことを指摘されては興ざめです。ほら、この雲ひとつない青空をごらんなさい」
「雲、少しはあるけど」
「だから、細かいことはいいのです。このヤケクソみたいな、とても頭の悪そうな青空を見ているとなんだか心が広くなった気になりませんか?」


良い空だ・・・。

駅はミュートのモード設定がされたみたいに静かで、耳をすますと太陽の光が落ちてくる音まで聞こえてきそうだった。

実際はそう静かでも無く、国道を通る自動車の音と夏だからミンミンゼミやツクツクボウシの声が聞こえて来ました。

「キハ120形が来ます」と言って千里は起き上がる。


私が大河原駅に降りてから約20分後、加茂行きのキハ120形が現れました。

長大なホームには不釣合いな1両編成。

近在の老婆一人を降ろした一両の列車は二人が乗らない事を確認すると、遅い速度で逃げていく。遠くに行くにしたがって列車はマッチ箱に変わり、やがて見えなくなった。



この場面の列車は千里と弥刀が乗って来たのとは逆方向の加茂行き。「列車は二人が乗らない事を確認すると」となると二人はその加茂行きのホームに居た事になります。

「さて、次の電車は四十分後ですね。もう一眠りするにはちょうどいいでしょう。」
千里は弥刀を引っ張って、またホームに寝転がった。

私は一眠りする余裕なんて無く、慌しく写真を撮って他の駅にも寄りたかったのでその40分後の列車に乗り、大河原駅には一時間の滞在でした。また機会があればのんびりしてみたい駅ですね。恋路橋も気になるし。

駅への旅・駅からの旅/関西本線大河原駅
↑もっと大河原駅を知りたい方はこちらをどうぞ。
ともだち同盟には他にもいくつもの駅が登場しますが、山陽電鉄月見山駅滝の茶屋駅などは近々行くつもりです。

9月にハヤカワ文庫JA(!)から新刊「不動カリンは一切動ぜず」が発売予定。
http://www.bk1.jp/product/03305596

●オマケ

大河原駅から東へ2駅隣の島ヶ原駅の駅舎。関西鉄道開業時の明治30年の築だそうです。関西鉄道社章入りの瓦が残っていたようですが*3、もう有りませんでした。

関西本線柘植駅の粋な「おかえりなさい」階段。カタカナでイが左右反転してたら泣けるな。
古レールと木造のこの跨線橋は相当古い物です。レールに八幡製鉄所のマルエスマークがあるのは分かりました。

近鉄名古屋線伊勢朝日駅。P17の最後の行の千里のセリフに釣られて来ました。18きっぷさえ有れば近鉄は片道200円で良いけど、2時間もかかるぞ。伊勢朝日駅は引き返せない駅なの。

*1:大河原駅 (京都府) - Wikipedia

*2:関西本線 - Wikipedia

*3:羽森康純・高田征洋共著「片町線草津線関西本線そのルーツと鉄道文化を探る」1997年3月、トリオ印刷 P116