1983年の阪急甲陽園駅前などを定点対比

7月6日の近く阪急甲陽園駅大改造・キョンが座った白雪ベンチも撤去予定、7月19日の開業86年にして変革を迎える阪急甲陽園駅と来てまた甲陽線ネタです。
たまやすさんが1983(昭和58)年1月3日に西宮北口駅のダイヤモンドクロス撮影のついでに(?)立ち寄った甲陽線での写真3枚の転載許可を頂いたので、それを軸に記事にしてみました。

2009年8月22日撮影 現在の甲陽園駅舎の屋根はスレート葺きです。

たまやすさん1983年1月3日撮影の写真です。瓦屋根時代の甲陽園駅舎のここまではっきりした、しかもカラーの写真は初めて見ました。震災で瓦が壊れた後にスレート葺きに変えられた*1そうです。


2008年10月13日撮影 背景は1983年当時とあまり変わらないようです。

2010年8月4日撮影 ちなみに、旧景の位置からは当時は無かった木が邪魔して駅舎が全然見えません。8月20日追記:旅と鉄道88年春号掲載の写真では既にこの位置にポストと木があります。

2008年3月3日17時24分撮影(2枚を合成)右端が甲陽園駅。駅前にサンクスがありますが、営業時間が6〜25時というのが土地柄を反映しています。


2010年8月4日に私、1983年1月3日にたまやすさんが、甲陽園駅前通りを北に向かって写した写真。27年を経てもあまり雰囲気は変わっていないんですね。左の11階建てのマンション(後述、2000年築)と右のビルが目立つ程度です。Googleストリートビューで見る
旧景の相互タクシーのりばの向こうの黄土色の建物が気になります。谷川流さんが西宮北高校時代に見た甲陽園駅前もこれに近い物だったのでしょうか。

涼宮ハルヒの憂鬱Ⅴ」より、朝倉涼子の「転校」の謎を探りにマンションへ向かうハルヒ。キャプ画像提供:柚耶さん*2長門有希のマンションは駅前にある設定で、別のマンションの外観が使われています。山の稜線は違うし、マンションから奥は割と雑に描かれていますね。写真は2010年8月4日撮影。


2008年1月4日撮影 日本家屋だった中村商店は3階の中村ビルに変わり、1階に中村たばこ店(街灯には中村酒米店と書かれている)、ビゴの店、2階に公文式(以前はNOVA)などが入居しています。フジカラーの看板が見える甲陽園カメラは同じビルで営業しています。

陰に隠れて目立ちませんが、相互タクシーの営業所の建築年代が気になります。

2009年8月14日撮影 夙川駅の甲陽線ホーム

2010年8月4日撮影 現在甲陽線を走っているのはこの6000系(製造初年1976年)ですが、

たまやすさん提供 1983年当時走っていたのはこの丸みを帯びた1010系(製造初年1956年)でした。上屋の柱の場所が変わっています。かつてホームから望めた甲山は今は木や住宅に殆ど隠されています。
たまやすさんの写真の元記事はこちらです。
中年介護士の“じょうかげん”な日々 阪急電鉄 西宮北口の平面交差
たまやすさんは西宮北口駅平面交差ジョイント音今津線甲東園〜阪神国道の走行音もYoutubeにアップされています。


2009年8月17日撮影 オマケに涼宮ハルヒの憂鬱 第20話「涼宮ハルヒの溜息Ⅰ」の舞台で登場した6120を。

1981年頃苦楽園口〜甲陽園間 ヤマケイ私鉄ハンドブック「阪急」(1982/4)より
1010系の前に甲陽線専用車だったのがこの800系(1949年製造)です。阪急最後の中型車800系は82年3月限りで甲陽線から引退し、阪急の全車大型化が達成されました。
写真の奥には西宮六甲線踏切があります。うちの読者には「涼宮ハルヒの消失」で登場したサイゼリヤ北夙川店横の踏切と言った方が分かりやすいですね。良く見れば乗務員が3人も乗ってます。

←2002年11月16日撮影
800系の運転台部分が2003年に閉園した宝塚ファミリーランドの宝塚のりもの館で保存されていました(ブレた写真ですみませんが・・・)。その後正雀工場に移されたようです。


Youtubeにmasagaki036さんがアップしている83年頃の秋の動画で、開始から1分5秒までと2分57秒〜3分13秒に甲陽線の1010系が映されています。

動画説明: 83年頃だと思います。甲陽線の1010と本線の2000系特急など。最後は残念ながらサイレントですが非冷房の3000系です。並走は風の音だらけ・・・一緒に行ってくれた先輩、元気かな。




2010年8月4日撮影 3分代は夙川に架かる苦楽園口橋から苦楽園口駅北側の踏切を見たアングルですね。大正庵の看板に注目。右のビルはまだ無かったようです。

次回は出来たら北口駅前公園関連の予定。