開業86年にして変革を迎える阪急甲陽園駅


2010年7月19日撮影
阪急甲陽線は甲陽支線として1924(大正13年)10月1日に夙川〜甲陽園間が開業しました。苦楽園口駅の開業は翌年。
甲陽地域は元々人の手の及ばない山林でしたが、大正時代に開発が始まりました。大池の浅地を埋めて広大な平地を作り甲陽遊園地、歌舞劇場、動物園、映画撮影所を新築し、温泉浴場、旅館、高級料理旅館「つる家」*1「はり半」、カフェもあり「東洋一の大公園」と呼ばれた一大歓楽地でした。
しかし昭和初期には4千人の大劇場を新築した宝塚や阪神パークなど私鉄の大施設に押されて衰退し、今は住宅街となっています。

[,left]甲陽園駅は開業当時の木造駅舎が残っています。西宮市内最古の駅舎なのは確実ですが(次点は昭和10年築のJR甲子園口駅)、阪神地域と阪急全駅でも最古の駅舎と思われます。震災で屋根瓦が壊れスレート葺きに変わったそうです。

今日駅舎の黄色い日よけの裏でツバメの巣を見つけました。左の写真は甲陽園駅と私(2008年2月27日撮影、カルカッタ茅ヶ崎さん提供)


2010年7月19日撮影

阪急電車駅めぐり 神戸線の巻」より、1980(昭和55)年5月23日の甲陽園駅前。バス停上屋が出来たりはしていますが、30年前でもさほど変わりませんね。外からホームまで一切段差の無いバリアフリーな駅としてJR横須賀駅と並んで有名。

宮っ子1980年8月1日号「阪急甲陽線に乗る!!」より。先の写真と異なる点が多いので5月以前の撮影か?

1936(昭和11)年刊の「大社村誌」より。昭和初期〜昭和10年の間かと。甲陽園駅から甲山に至るケーブルカーが計画されたが未だ実現せず、と同書に書かれています。

「西宮ライブラリー 町名の由来」より、にぎわう甲陽園駅。大社村誌の写真と同時期?宮っ子甲陽版1981年5月号にも開業当時の同アングルの別写真が掲載されています。
開業当時の駅舎が改修、増築を重ねつつ現在も使われている事が良く分かります。駅舎の看板には右書きで「電車のりば」と書かれているように思えます。
ちなみに今この角度で撮ろうとすると木で駅舎が隠れてしまいます。
大正時代の俯瞰写真(北高通学路の階段で上る丘からでしょう)を見ると甲陽園駅は甲陽遊園地の真っ只中にあった事が分かります。



2010年6月6日撮影 2006年4月、涼宮ハルヒの憂鬱1期放映2話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ」でこちら側からのアングルで甲陽園駅がアニメに初登場しました。





2009年版第21話「涼宮ハルヒの溜息Ⅱ」より。作中では原作小説同様「光陽園駅」となっています。2009年8月22日撮影

2003年には近畿の駅100選に選ばれています。国土交通省近畿運輸局が鉄道各社の利用者にアンケートを取って選出したものです。


「西宮の今昔」より、大正末期の甲陽園駅南側。左の建物に温泉旅館と書かれています。甲陽園はカルバス温泉、苦楽園はラジウム温泉が当時有名でした。

「戦後混乱期の鉄道 阪急電鉄神戸線京阪神急行電鉄のころ」より。1982年3月28日

2010年7月19日撮影
線路左側の建物はすっかり建て替えられました。
配線は開業以来変わっていませんが、先の記事近く阪急甲陽園駅大改造・キョンが座った白雪ベンチも撤去予定で書いた通り8月までの工事で右の2号線は廃止されます。左の1号線へのポイントは6月に既に撤去されています。
懐古趣味の鉄道写真帳 思い出の阪急旧型電車達 195:甲陽園駅の665番では同地点の1970年(昭和45)年の写真が見られます。


2008年9月20日にこのポイントで起きた脱線事故以来1号線は使用停止となり、2号線に電車が入り1号線島式ホームから乗降するようになりました。

2006年4月19日柚耶さん撮影

工事計画図、右端が駅舎。2号線を無くしてその上に1号線ホームを拡張するようです。


2010年7月13日撮影 甲陽園駅では開業以来の石積みのホームを見る事が出来ます。写真は1号線西側の今は使われておらずトイレ部分だけ解放されているホーム。今津線門戸厄神駅、甲東園駅箕面線桜井駅なども丸い石が積まれたホームが残っています。


2010年7月10日撮影 近頃駅の上屋(うわや)に興味を持っているので、1号線ホーム駅舎側の上屋の造りが他駅で見かける阪急標準タイプと違い随分古めかしい事に気付きました。*2


鉄材をリベット接合していて、上に乗っている梁は木製。

1932(昭和7)年の今津駅の写真(「阪急ワールド全集 阪急ステーション」に掲載)に写っている上屋も同じ構造なのが見て取れます。
*3


似ているでしょう?


7月10日夕方帰りの電車に乗ろうとしている時に、西日を浴びる上屋の柱をふと見て何か文字が浮き出ている事に気付きました。

「YAWATA ヤワタ」八幡製鉄所!?

マルエス BS 6×5 SEITETSUSHO YAWATA ヤワタ*4
見やすいよう写真を加工しました(クリックで拡大)。刻印の全体が読めるのはこの1本だけでした。四方にトゲのついた丸の中にSのマルエスマークはレールでも見られる八幡製鉄所ロゴマークです。


八幡製鉄所の操業開始は1901(明治34)年。調べてみるとこれは初期の刻印(ロールマーク)のようで、昭和初期までの橋梁、送電鉄塔鉄道車両の台車、架線柱などにも同様のロールマークが見られるようです。もしかしたら1924(大正13)年の甲陽園駅開業時から有る上屋なのかも知れません。BSと数字はBritish Standards、イギリス規格の寸法で造られている事を意味します。

駅ホームの上屋の柱が八幡製鉄所製という事例はネットでは他に見当たりません。

ネットで確認出来た同様の刻印の鉄骨がある建造物
八幡製鉄所ロール旋削工場 1909(明治42)年 非現存 参考(PDF)
陸上自衛隊十条駐屯地275号棟(現東京都北区中央図書館) 1919(大正8)年 参考(PDF)←鉄骨の価値が認められている
国鉄TR10形台車と派生形式 1914(大正3)年〜昭和初期 参考:スニ30形荷物車
荒川大橋旧橋 1925(大正14年) 参考
JR高崎線掛川橋梁 1928(昭和3年) 参考
台湾・台南県の嘉南大圳水道橋・龜重溪橋 日本統治時代の1930(昭和5)年  参考

誰も探していないだけで、八幡製鉄所の刻印のある鉄骨は無数に存在するはずです。国会議事堂や十三大橋にも八幡製鉄所の鉄骨が使われているのだとか。

2010年7月6日撮影 1号線の上屋とホームはどうやら2度継ぎ足されたようで、3つそれぞれ構造が違います。この最初の上屋は現在の車両のドア2つ分と少しにかかる所(車両部分は11mぐらい?)までしかありません(石積みホームはもっと長い)。全長13mの1形や全長11mの37形などの小型車が1両だけで走っていた時代にはこれで十分だったのでしょう。
上の写真の景観は1980年当時と全く変わっていません。
宮っ子2006年9・10月号掲載の大池も見える昭和初期の甲陽園駅の写真でこれらしき短い上屋が写っています。

2期目の上屋(奥)と3期目の上屋(手前)の境目。この両者が他駅でも良く見られるタイプ。最初期の上屋は2本脚ですが、これらは1本脚です。2期目は70年4月、3期目は82年3月の時点で完成していた事が先に紹介した写真から分かります。ちなみに左向きのベンチがキョンが座った物。

阪急電車駅めぐり」より昭和14年頃の甲陽線苦楽園口駅〜夙川駅間。
阪急電車駅めぐり」などによれば、甲陽線は長い間1両で走っていたが、1953(昭和28)年頃から小型車2両運転を始め、1970(昭和45)年には小型車3両編成、1975年(昭和50)年には大型車2両編成、1979(昭和54)年4月から中型車3両編成、1982(昭和57)年には現在と同じ大型車3両編成になっている*5(混在時期もあり)との事です。編成が伸びるのに合わせてホームと上屋を足して行ったわけです。


1979(昭和54)年には甲陽学院高校が前年に移転して来た事による学生客増加に対応し、2号線東側に通学時間帯のみ使われるホーム=2号線ホームが設置されました。

阪急電鉄で古い上屋がある駅一覧
木造上屋:嵐山線松尾駅神戸線神崎川駅 共に木製ベンチ付き
初期鉄造上屋:嵐山線嵐山駅、神戸線春日野道駅
古レール造上屋:宝塚線石橋駅、十三駅(少数)、神戸線芦屋川駅、王子公園駅、武庫之荘駅(少数)、箕面線桜井駅

参考:我が人生の垢 阪急電鉄の古いレールの上屋
古レール造上屋は建てられたのは昭和20〜30年代頃のはずですが、主に1910〜20年代、古い物では石橋駅で1891(明治24)年7月製のレールが再利用されています。この他、上屋と言うには大規模ですが三宮駅のドーム屋根は1936(昭和11)年開業当時の形態を保っています。



7月12日(月)19時19分撮影。この日、1号線ホームは午前7時54分〜9時4分のラッシュ時間帯に降車専用ホームとなる以外は使用停止となり、2号線ホームのみが使われるようになりました。

7月18日(日)15時15分撮影 上屋が無くなってすっきりしてしまいました。初期の上屋の柱と骨組みだけが残っています。18日まで1号線ホームは早朝に使われるような事が書いてありましたが、18日午前10時に魔太郎さんが着いた時にはこの状態だったようです。この日は日曜で工事をしている様子が無かったので、上屋の撤去は前日17日か?7月19日時点ではこのままです。


古レール柱と梁だけになった上屋の上に広がる青空を、5月にJR東淀川駅でも見た事を思い起こさせます。

駅舎側では梁が剥き出しで切断面が見えていました。

片隅に撤去されたベンチが置かれていました。既にサムデイインザレインと同じ写真を撮る事は不可能になっています。後ろに見えるのはエンドレスエイト(8)でSOS団が雨宿りしたパン屋「ビゴの店」(改装済み)。

7月10日 上屋がある時

7月18日 上屋撤去後

大正時代のように駅舎が見えるようになりました。この写真の電車は1形13で、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が開業時に用意した中の1両。



長年甲陽園駅ホームの上屋を支えて来た柱も、間もなく姿を消す事になります。

参考文献
阪急電車駅めぐり 空から見た街と駅 神戸線の巻」1980年、阪急電鉄
山下忠男監修「保存版 西宮の今昔」2009年4月、郷土出版社
浦原 利穂「戦後混乱期の鉄道 阪急電鉄神戸線京阪神急行電鉄のころ」2002年12月、トンボ出版
「阪急ワールド全集4 阪急ステーション 写真で見る阪急全駅の今・昔」2001年4月、阪急電鉄
「大社村誌」1936(昭和11)年7月10日、大社村誌編纂委員会
「宮っ子」西宮コミュニティ協会 各号

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定点対比記事
2010-05-05 クドわふたーの商店街と甲子園口駅今昔
昭和28年と現在の甲子園口駅の定点対比あり

*1:鶴屋さんの名前の元ネタと言われる。後天性無気力症候群2006-06-09 鶴屋邸のモデルか?〜甲陽園つる家

*2:ちなみに視点が低めなのは岸本章「古レールの駅 デザイン図鑑」(2009年6月、鹿島出版会)に影響を受けた撮り方。

*3:阪急今津駅は昭和改元の一週間前の1926(大正15)年12月18日開業。当初は今津港まで真っすぐ延長予定だったため阪神線からやや北に離れた位置で仮駅舎で営業し、1928(昭和3)年4月1日に急カーブで阪神線と平行になるように駅を移設して阪神線との連絡工事が完成しました。戦災で駅舎は焼失、1993年に阪急今津駅は高架化され開業時とほぼ同じ位置に戻っています。阪神今津駅も2001年に高架化が完成しました。

*4:「SEITETSUSYO」と、やわたせいてつしょの刻印の「SHO」を「SYO」として表記しているサイトがいくつか有るが、誤り

*5:70年代以降の甲陽線の使用車両:小型車(15m以下)=610系(〜75年)、中型車(17m級)=800系・920系(〜82年) 大型車(19m級)=810系(75〜79年)、1010・1200系→2000系→3000系→6000系