西宮で朽ちゆく大阪市電


西宮市某所の大阪市電。「全国保存鉄道Ⅱ」(94年)の保存車両リストに記載があり、町名だけでは探しようが無いし、とっくに解体されたと思っていた所、2008年に現存している事を知りました。2009年秋にぎをらむさんに場所を教えて貰い実見、ずっと気になる存在でした。


夏になると木で隠されてしまうので、3月に訪れました。それでもこの程度で、2008年の写真に比べて見え辛くなっています。


茶屋の庭先に置かれています。今回、茶屋のおばちゃんに許可を頂いて近寄らせてもらいました。ゴムがくっついてドアが開かないので車内には入れないし、中の物は子供が取ってほとんど残っていないとの事。
「西宮流」の記述によれば、大阪市電が廃止になった時におじいちゃんが持って来たそうです。1969年だから、40年以上置いてある事になります。


ちなみに、西宮市にも路面電車・・・阪神国道線が1975年まで営業していました。

近寄るのも一苦労。冬で良かった!

一部の窓が割れています。

道路の反対側の前面。倉庫が迫っていて引けません。


「乗降者横断優先」

右が道路側。台車は付いていません。野ざらしの割には良い状態だと思います。誰かがお金をかけて修復するならまだ手遅れでは無いはずですが、そこまでの価値を見出される事は無いかな・・・。

割れた窓からカメラを突っ込んで車内を観察。地面に窓ガラスが落ちていたので、割れたのはそう昔でも無いようです。

色々吹き込んで汚れてしまっています。

前の2枚では明るく写ってますが、実際は暗いです。


道路側運転台。


引きはこれが限界。

同形車の写真です。1967年撮影、「大阪市電が走った街今昔」より。
色が違うのは色あせたからと思っていましたが、前面の塗り分けの波打ち具合を見ると、どうやら塗り直したようです。現役時代の塗装を無視して一色に塗ってしまう所有者も多いので、そこは感心しました。


状態の改善は望めませんが、関西では貴重な存在ですし長く残って欲しいものです。

一応枝の剪定はされているのかな?

1966年(昭和41年)当時の2672 前掲書より。


大阪市交通局2601形電車は、1955年から1961年に114両製造されたうち、広島電鉄に譲渡されて900形として活躍中の9両の他は、この2672と大阪府守口市で倉庫になっている2665しか残っていないようです。2665の方も残念な状態です。
守口市の大阪市電2665号車 - 瀬戸内(たまに大阪)鉄道雑記帳


私の故郷、神奈川県相模原市淵野辺鹿沼公園にも横浜市電が保存されていましたが、もはや電車と認識出来ない酷い状態でした。今は有りません。


電車の横に、何やら妙な物がありました。

後で調べてみると、これは電停標識でした!「市電の走った昭和の大阪」より。
形はいくつか種類があったようです。



場所はこの近くです。分かる人には分かる。
この電車は岡原翔さんという方の小説「テイクオフ」(2009年発売)にチラッと登場しているようです。阪急武庫之荘駅で押し屋のアルバイトをしながら英字新聞記者を目指して頑張る大学生の話だそうです。

1986年の円高不況 携帯電話もネットもなかった頃のお話。
震災で壊れた三宮阪急会館も、西宮球場・西武庫公園の近くにあった改修前の西武庫団地も出てきてなつかしい気持ちになります。
在神戸米国領事館閉鎖、国鉄神戸臨港線廃線跡・・・
梅田の本屋さん、ニシキタの塾銀座、甲子園口駅前商店街、神呪寺
海と山が近い風景、甲武橋、芦屋の山手サンモール、三宮、


でもねぇ。景色はなつかしいんですが、どうも恋愛シーンがこそばくて仕方ありません


主人公が住む甲陽園・目神山からの景色の記述もよく出てきます。


amazonのyukaricoffeeさんのレビュー「春に読んでみたい細かいご当地小説」より。


かつて、西宮にはもう1両路面電車の保存車があったようです。
阪急甲陽線苦楽園口駅から西へ、樋之池公園・北夙川市民プールの手前の樋之池町3-8に長崎電軌700形704号(東京都電2000形)が「ムーンダンス」という店名で1995年5月からレストランとして使われていました。しかし2004年11月に閉店、2005年1月頃に解体されたそうです。
こちらに末期の写真があります。
http://nagaden.fc2web.com/geneki/intai/intai.htm

写真はとれいん96年5月号より。知っていたら簡単に見に行ける距離だったのに・・・。

横着して、Googleストリートビューから2010年2月の様子(撮影日書かれるようになったんですね)。右の一軒家と何故かマンションまで無くなっています。


「廃電車レクイエム」には公園で、山中で荒廃してひっそりと消えて行った電車たちを丸田祥三さんが8歳!(1973年)から撮り溜めた写真が収められていて、お勧めです。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0244430/top.html


西宮と神戸の道端で見つけた国鉄車掌車 - きーぼー堂
AIRに(一応)登場した紀州鉄道キハ603が引退 - きーぼー堂
AIRの駅のモデルについて - きーぼー堂
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京阪の本気、けいおん!ラッピング電車 〜駅員手描きイラストPOPも発見〜

大阪デザイナー専門学校での「いとうのいぢの講演会」レポは11月2日に後半部分を追記しました。

10/27 13:47 松ノ馬場駅〜穴太(あのお)駅間 石山寺行き

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大阪駅を追われた噴水小僧の展示を見て来た&失われた相方の写真を発見

大阪駅の歴史を100年以上見て来た噴水小僧が、再び居場所を無くします。

噴水小僧は高さ1.2メートルの銅像。腹掛け姿で、頭上にハスの葉を掲げている。明治中ごろの制作とみられ、明治34年に開業した2代目大阪駅の正面玄関車寄せの左右に一対が設置された。当時は、竜の口から出る水を、ハスの葉で受け止めていたという。ひしゃくも用意され、利用客がのどを潤したとされる。


 昭和15年に3代目の駅舎が完成し、噴水小僧は中央コンコースに移された。もう1体は建て替えの混乱で行方不明に。噴水小僧は、大阪駅の歴史を物語る貴重な資料として、旧国鉄によって昭和38年に「準鉄道記念物」に指定された。

MSN産経ニュース 大阪駅で1世紀超…あの噴水小僧、見納め? 展示、今月末で終了(2011.8.22 14:29)より。 ウェブ魚拓


写真は「大阪駅の歴史」(2003年、大阪ターミナルビル株式会社)より。



二代目大阪駅駅舎。「絵はがきで読む大大阪」より。二代目駅舎時代の噴水小僧の写真は、何故か見つかりません。ここから見えて良いはずなのに。

待ち合わせ場所として親しまれて来ましたが、駅のリニューアル工事のため2004年3月に撤去。今年5月に大阪駅大阪ステーションシティとしてリニューアルオープンしても、「近代的な駅のイメージと合わない」という事で駅に戻る事は出来ませんでした。初代大阪駅で時鐘として使われたという鐘を飾ったモニュメント「旅立ちの鐘」*1も2010年11月に撤去され、大阪駅の倉庫に仕舞われています。


その後6月14日から大阪環状線弁天町駅の交通科学博物館で期間限定で展示され、想い出ノートも設置されました。しかしそれも、8月31日限りで終わります。



6月18日に見に行って来ました。

下にあるのは雑魚取り網らしい。

こんな顔だったんですね。恥ずかしながら、駅にあった頃には意識した事がありませんでした。

蓮の葉状の水盤の上。

分かりにくいですが金太郎のような腹かけをしているのが、現存する方の特徴です。


噴水小僧の制作時の事については、「ずっと噴水が好きだった」の6月2日の記事が大いに参考になりました。当時の大阪毎日新聞の画像も見られます。


噴水小僧の制作者は工部美術学校出身の菊地鋳太郎*2


昭和10年4月22日の大阪毎日新聞の「新たに生れ変る大阪駅の今昔 感慨ひとしほのその生ひ立ち 本社主催ゆかりの人々座談会」では

阿左美孝一氏(※元大阪駅助役):ところであの車寄せのところの噴水小僧はどうするのですか、あれは京都大学の先生が作られたとかで当時は芸術品としても立派なものだといはれてゐたのですが・・・・・・


前田駅長:記念に保存して、新駅のどこかに使ふことになっています。

というやり取りがありますが、京都大学の先生というのは間違いみたいです。


大阪駅物語」(昭和55年、朝日新聞社)P194では、二代目駅舎開業の2年後、明治36年(1903年)に天王寺で開催された第五回内国勧業博覧会に出品された5体のうちの2体が駅に贈られたとされています。
しかし第五回内国勧業博覧会美術出品目録には載っていないし、「ずっと噴水が好きだった」で引用されている当時の資料では確かに二代目駅舎開業に合わせて制作した事になっているし辻褄が合いません。


同ブログ管理人の松崎貴之さんは、「内国博に展示されたという話は、おそらく内国博の会場にあった『楊柳観音噴水』の子供の像との混同によるものだと思います」と推測しています。
http://124.83.175.223/eigajin/3481708.html
楊柳観音噴水(1903年) ( 大阪府 ) - ずっと噴水が好きだった - Yahoo!ブログ
特に新聞記事で「一人は起て水盤を手にして水瓶の水を受け、」と表現されている像は、確かに様子が似ています。

交通科学博物館で、こんな資料も展示されていました。


上の写真帖は何故か違うタイトルになっていますが、大阪市立中央図書館所蔵の「大阪駅改築記念仮駅写真帖」(佐々木豊写真館、皇紀2597年=昭和12年)と同じ物と思われます。
このページには六〜十代目駅長の顔写真と「旧駅全景ト車寄ノ噴水小僧」が載っています。


二代目駅舎の俯瞰。高架化工事が始まっている様子はありません。右手前の窓が並ぶ白い建物は「大阪駅食堂」(右書き、駅は旧字)と読み取れます。

駅舎付近を拡大。

何気なく右に載っている噴水小僧の写真、実はこれは行方不明になったもう一体です。上の竜の口から水が噴き出していたそうです。

比べると、ポーズも違う事が分かります。

 久しぶりに日の目を見た噴水小僧。大阪府河内長野市の主婦(62)は「友達と遊びに行くときは『噴水前に集合』と約束した。大阪駅のシンボルだった」と振り返る。


 同じ思いを抱く人も多く、ノートには「幼なじみとの旅行で、待ち合わせをした」「こんなところで会えて感動した」などとつづられている。だが、噴水小僧を所有するJR西日本によると、今後、大阪駅に設置する予定はないという。保管する交通科学博物館も「常設展示の計画はない」としており、再びお蔵入りする可能性が高い。

先の産経の記事より。
また大阪駅に置けば良いのに。


噴水小僧は、再び何年も倉庫の木箱*3で眠る事になるのでしょうか。



これも二代目大阪駅の遺産と言えるでしょう。大阪駅昭和9年9月18日に押された記念印(駅スタンプ)です。二代目駅舎は昭和10年6月から建て替えのため取り壊されました。77年前だから押した人がもし今生きていたら恐らく90代以上、どんな人だったのかな。

大阪城(その右のは?)、工場の煙突、二代目駅舎、ライオン橋とも呼ばれる難波橋大阪市章の澪つくしがデザインされています。
ゆうゆうぜん歩録 見知らぬ人の戦前の記念スタンプ帖 その1 その2
↑大阪人と思われる前所有者の行動と心境を分析しています。こういうのって想像力を掻き立てられますね。


二代目大阪駅を紹介ついでに、阪急百貨店側からの風景を定点対比してみます。

初出は大正3年の「大阪府写真帖」。地上駅時代の構内(左奥に駅舎)と二代目駅舎外観。左下の円内を、先のスタンプと見比べてみて下さい。。
当時まだ阪急百貨店は無いですが、どこから撮っているのでしょう?

阪神間鉄道回顧録 辻圭吉写真集」より。左が駅舎、昭和4年に建った阪急百貨店との位置関係が分かります。右を大阪市電が走っています。

阪神間鉄道回顧録より。阪急百貨店屋上から。昭和9年6月1日の高架化のための工事が進んでいます。

三代目駅舎。昭和36年(1961年)の喜劇映画「猫と鰹節」*4(堀川弘通監督、森繁久彌主演)より合成。副題は「ある詐話師の物語」。


大阪が舞台で、遠くから大阪駅に到着した商人・西村晃森繁久彌が儲け話を持ち込む所から物語が始まります。詐欺なんだけどね。通天閣の外階段も重要な場面で登場。VHSが大阪府立中央図書館に所蔵されています。

昭和53年(1978年)の「明治大正大阪百景」より。駅舎が黒ずんで来た?右端に朝日放送大阪タワーホテルプラザ

平成18年(2006年)8月2日柚耶さん(神奈川井総社)撮影 阪急グランドビルから。三代目駅舎は、四代目と言えるアクティ大阪に建て替えられました。大阪タワーはまだ有ります。

平成22年(2010年)10月1日撮影 大阪ステーションシティの工事が進み、ホームに大屋根が出来ました。おととし解体された大阪タワーの隣にホテルプラザは昭和53年の写真と変わらず残っていますが、最近解体工事が始まりました。
旧ホテルプラザ 2011年8月22日の解体状況: 陽は西から昇る! 関西のプロジェクト探訪


ゴリモンな日々 | 大阪駅いまむかし その2
大阪駅ターミナルビル新築工事の推移(昭和55年~定点撮影) - 阿房列車ピクトリアル
阪急グランドビルからの昭和55年前後の眺めがこちらで見られます。




過去の大阪駅関連記事
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*1:交通科学博物館にも「旅立ちの鐘」の時鐘とは別に鉄道記念物の「大阪駅の時鐘」が保存されていますが、両者の関係ははっきりしていません。

*2:雑誌『太陽』第7巻第3号の吉岡芳陵の文章と、1918(大正7)年4月発行の『美術新報』156号に菊地鋳太郎自身が寄せた「工部美術学校時代」という文章で触れられているそうです。

*3:asahi.com(朝日新聞社):「噴水小僧」「旅立ちの鐘」 新装大阪駅に居場所なく にある表現。 ウェブ魚拓1 ウェブ魚拓2

*4:原作はドラマ「部長刑事」の原作者の一人、佐川桓彦(佐川恒彦は誤り)の小説「東京駅」らしいですが、東京駅は登場しないのが謎。同氏は「大阪駅」「詐話師」も書いていますが、前者はストーリーの関連は無く後者は未読。3冊とも大阪市立中央図書館に所蔵されています。

JR西225系がお兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!第2話に登場



「お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!」(原作:草野紅壱、アニメーション制作:ZEXCS)第2話「ツインテール、兄妹を襲撃」にJR西日本の新車225系が登場!正確には225系が表紙の「鉄子ファン」なる雑誌が登場したのですが、タイトルが長くなりすぎるのでw関西ではサンテレビKBS京都で1月17日深夜に放送されました。


奈緒が様子のおかしい、というか真面目になった兄修輔を更生させようとする(具体的には書かないでおくw)場面で、奈緒鉄子というわけではありません、多分。モデルになったのは鉄道ファン2010年8月号のようです。作中でも8月号ですね。

鉄道ファン 2010年 08月号 [雑誌]

鉄道ファン 2010年 08月号 [雑誌]

8の色、225系の写り方に違いがあります。前期の「えむえむっ!」(制作:J.C.STAFF)といい、スタッフに鉄オタがいるのでしょうかw
参考:きーぼー堂2010-10-25 えむえむっ!で登場したJR福知山線?を検証


落成後の出場回送の際の225系第1編成。2010年5月18日、赤川鉄橋南側にて。
そういえば、赤川鉄橋の人道橋は最近の改修で残念な事になってしまったようです。http://twitpic.com/3pao7f 行っておいて良かった。
きーぼー堂2010-5-18 225系近畿車輛出場回送を赤川鉄橋で捉えた


2010年12月1日から東海道本線山陽本線阪和線で営業運転を開始していますが、それ以降私はJRは大阪〜関西本線王寺、山陰本線しか乗っていないので225系を見ていません。

大和路快速野洲行きらしいwwww有り得ない!
↓2013/6/29追記:正しくは「若狭路快速」野洲行きでした。
より鮮明な画像http://twitpic.com/401h4f/full
<以上追記>


参考:新快速のJR西日本とアニメブログ お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ 2話 に225系!?

今月あまり余裕が無くて、ブログ放置気味ですみません。



お兄ちゃんなんか全然好きじゃないんだからね舞台探訪 - 舞台探訪まとめWiki*1
お兄ちゃんのことなんか〜の舞台は西武池袋線中村橋駅周辺だけが特定されています。最初に見つけた2chの人はどうやって分かったのだろう…?とりあえず2話で彩葉が出てきたおかげで視聴継続は決まりましたw


*1:タイトルがやや違うのは25文字制限のため

「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」舞台探訪と鉄道連隊など@千葉公園

11月25日に【第2回】きーぼー、東へ でお伝えした、11月23日夜出発、27日帰宅の関東遠征の成果報告です。


まず現在放送中のアニメ「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」舞台探訪で訪れた千葉公園から。ちなみに原作も千葉が主な舞台で、アニメ化決定以前から愛読しています。黒猫かわいいよ黒猫。


続き→舞台探訪その2 千葉護国神社入口、千葉市立中央図書館




11月24日は大宮の鉄道博物館を見学、JR京葉線新浦安駅サイゼリヤで夕食、またずっと東へ進み京葉線千葉みなと駅蘇我駅間沿線のネットカフェに宿泊。

25日朝、車で移動中に千葉モノレールとご対面!

千葉みなと駅近くの駐車場に車を置き、千葉モノレールに乗ります。

3つ隣の千葉公園駅で私だけ降りました。皆は千葉モノレール乗車を優先したため、当分は単独行動に。


まずはOPで登場する、千葉公園の綿打池でモノレールがすれ違うシーンから。第1話最初のカットで、第3話本編にも同じカットあり。

松に雪を積もらせないための三角錐のロープは10月中旬には無かったようですね。スタッフは冬にロケハンをしたのかもとか。


第3話より、麻奈実に桐乃に(オタク)友達が出来た事を報告する京介。

合流したkazu、ペレオンの協力を得て再現してみたwモノレールと合わせる時間的余裕は無かったけど。ディオさんは千葉モノレール完乗のため千葉公園には寄らず。


「きょ、京ちゃん、ど、どうぞっ!」これは押されたら池に落ちる危険なアングルw貸しボート(※冬期休業)に乗って撮れば良いんでしょうか。


京介視点で。


京介は麻奈実の膝枕をスルーした…。6話では京介赤くなりまくってて面白かったけどw

矢印が京介と桐乃が居た場所です。モノレールから撮影。

対岸からズームで撮るの忘れてたなあ。水は濁っています。



千葉護国神社前なども掲載予定です。
その2 千葉護国神社入口、千葉市立中央図書館に続きます。



俺の妹がこんなに可愛いわけがない」舞台探訪 参考サイト
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」舞台探訪まとめ - 舞台探訪まとめWiki
天狼星 俺の妹がこんなに可愛いわけがない 舞台探訪@千葉
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」舞台探訪アーカイブ



ついでに千葉公園で見つけた鉄道ネタを紹介しておきます。


川崎製鉄千葉製鉄所で使われたという昭和28年川崎車輌製の蒸気機関車が保存されていました。近年整備されたようで綺麗です。千葉護国神社の方へ向かう途中目に入り、あるとは知らなかったので驚きました。これの為にかなり時間を消費してしまったりw
千葉県内に仲間が2両保存されているようです。


図書館への道の曲がり角にあった、一見ただのコンクリートの塊。

実は鉄道連隊が架橋訓練のために設置した橋脚。千葉公園がある場所は戦時中、陸軍鉄道第一連隊の広大な演習所があったそうです。鉄道連隊とは、戦地における鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊に従事する連隊(Wikiより)。


鉄道連隊の本拠地は千葉県で、遺構が多数残っている事は知っていましたが、まさか「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の舞台探訪のために来た千葉公園で出くわすとは!ちなみに先の蒸気機関車は鉄道連隊とは無関係。
新京成電鉄津田沼〜松戸間は鉄道連隊演習線の跡を利用して敷設されたそうです。

公園事務所の近くに、鉄道連隊が演習のために作ったトンネルの入口もありました。

レール断面と交差させた斧がデザインされた、鉄道連隊の紋章。靖国神社遊就館に保存されている、タイから復員したC56形31号機にも同じ紋章が見られます。

千葉公園のマップにも橋脚跡とトンネル跡が書かれています(何故か機関車は無い)。荒木山の名は鉄道連隊で殉職した荒木大尉の銅像があった事にちなむそうです。



千葉公園の近くの千葉経済大学内には明治41年に鉄道連隊材料厰の機関車の修理工場として建てられた煉瓦建築(千葉県指定有形文化財)が残っていますが、今回は見逃しました。



12月13日午前0時代追記:Buzzさんから地元商工会の写真展で展示されていた鉄道連隊に関する資料の画像提供を受けたのでリンクを貼っておきます。
http://f.hatena.ne.jp/keyboar/20101213000620
http://f.hatena.ne.jp/keyboar/20101213000619




鉄道連隊 参考サイト
房総の廃線 鉄道連隊軍用線 千葉-津田沼間
戦争遺跡を歩こう
↑トップページ下方に「鉄道連隊関係の遺跡」あり
戦争遺跡を歩こう 千葉駅周辺その1(鉄道連隊・歩兵学校・気球連隊)千葉駅周辺 千葉公園
千葉市:千葉公園の歴史を散策 〜「千葉公園の思い出」写真展より〜

大阪駅新乗換通路を見物&工事前と定点対比

関連→月光仮面に見る昭和30年代の大阪(1)大阪駅前1 - きーぼー堂

11月9日、1日に使用開始された大阪駅の新乗換通路を見物しに行って来ました。

ホームから見る大屋根。良く言われますが、ヨーロッパの終着駅のよう(参考:フランクフルト中央駅)。大阪駅も変わったもんだ。

2日前の11月7日に営業運転を開始したばかりのキハ189「はまかぜ」が4番線に入線!

鉄道ファンの注目を浴びていました。


新しく出来たエスカレーターで上へ。

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えむえむっ!で登場したJR福知山線?を検証

10月19日のもっちさんのリクエストに応えて。取材は10月21日(18時〜19時半)、22日(14〜17時)に行いました。

今月開始のアニメ「えむえむっ!」の第2話「似たものどうしのディスタンス」(サンテレビでは10月12日24時放送)でJR西日本321系らしき電車が登場しました。

321系は2005年デビュー。東海道山陽本線福知山線東西線学研都市線(片町線)を中心に運用されています。(2010年5月16日 学研都市線徳庵駅東方)


作中ではドアボタンまで再現されています。(↑2010年5月15日 東海道本線摂津本山駅西方)

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